「課外授業 ようこそ先輩」 撮影裏話 その1
  授業一日目  一時間目 お医者さんになってみよう!
「子どもたちって、「お医者さん」や「病院」に、どんなイメージをもってるのかしら?
やっぱり、「怖い」かな? 
じゃあ、「怖い」をおもしろいに変えるにはどうしたらいいのかな?」


そんな発想の中から出てきたのが、一時間目の授業
「お医者さんになってみよう!」です。

「病院は怖いところ」と思っている人は、大人にもたくさんいます。
そのせいか、家族が重い病気にかかって、管だらけになってしまうと、
大人ですら病人のそばに行くことを敬遠してしまいやすいものです。


でも、重病の患者さんほど、家族にそばにいてもらって、
「不安を和らげて欲しい」と思うものです。

私は、子供たちに、「管を恐れずに、病気になった家族の手を握ってあげられる人」
になって欲しいと思いました。と、同時に、

「管は、恐ろしいものじゃなくて、病気を治すために人間が開発した、便利な道具なんだよ」 
ということも、知ってもらいたくて、
まずは、たくさんの管や器具で遊んでもらい、親しみを持ってもらうことにしました。


思っていた通り、先入観がなくて、好奇心いっぱいの子供たちは、
めずらしい道具に興味津々!

聴診器を使って、お互いの心臓の音や呼吸の音を聞いてみたり、
おしっこの管を触ってみたり、恐る恐る注射の針を触ってみたり・・…。


そして、最後には、担任の佐々木先生を患者に見たて、
子どもたちにはお医者さんになってもらって、治療をしてもらいました。


佐々木先生の病状は、「食事がとれなくて苦しい」から始まって、
「おしっこができない」「息が苦しい」「吐いてしまう」「呼吸が止まってしまった!」
と、どんどん重症になっていきます。

子供たちは、おもしろがって治療をし、
気がつくと、佐々木先生はたくさんの管だらけになってしまいました。

 「ひゃー、佐々木先生、管たらけになってしまいましたね。今、どんな気持ちですか」

私が問い掛けると、佐々木先生は、

 「辛くて、不安です」
 と、お答えになりました。そこで、今度は、子供たちに問い掛けてみました。
「佐々木先生、辛いって! ねえ、みんなには今まで、
お医者さんになってもろうてたけど、もし、今の佐々木先生みたいに
管だらけになったら、どないな気持ちになる?」




 二時間目 患者さんになってみよう
二時間目は「患者になったら」と考えてもらうことにしました。
希望する子には、佐々木先生と同じように管だらけにもなってもらいました。
そして、私からはこう問い掛けたのです。


「重病になると、管だらけになるだけじゃないんだよ。狭い個室に入れられて、
白い壁に囲まれて独りぼっちになっちゃうの。みんなだったら、どんな気持ちになるかなあ?」


すると、それまで、おおはしゃぎしていた子達も、真剣に考えこみ始めました。

 「管は嫌やな」「辛いな」
という声が口々に上がってきました。私はさらに言いました。
 「そうやね。点滴が好き、って人はあまりおらへんかもしれへんよね。
でも、病気が重くて、治療で入院してなあかんときも、あるねん。
みんなが病気やったら、そんなとき、どうしてもらったら、少しは気持ちが楽になるかな?」

クラスの子どもたちの1/3くらいは、点滴をした経験を持っていたせいか、
案外、病気についても実感を持って考えられたようです。


 「家族に、そばにいてもらう」「友達と話する」

などの意見が出てきました。やはり、子どもたちも、不安なときには、
人のぬくもりを感じたいようでした。そこで、言いました。

 「病気で入院している患者さんも、みんなと同じこと、言わはるねんよ。
 病気のとき、誰かがそばにいてくれると、とっても心強いし、それだけでも、
病気がずいぶんよくなることもあるねん。

 みんなも、病気の人を力づけてあげられるねんよ。

そこで、病気の人を元気にする方法を、ちょっと、実習してみよう!」

 ……ということで、実習に突入です。



 実習 お医者さんと患者さん
実習は、2人一組になって行いました。

患者さん役の人は、椅子に座って目を瞑ります。お医者さん役の人は、
患者さん役の子の肩に手を置いて、そーっと、相手の呼吸に合わせながら、
小さく体を揺らしてあげます。   


このとき、

「元気がでますように。はやくよくなりますように。気持ちよくなりますように」
 と心の中で、相手に話しかけます。

………
最初はふざけていた子達も、次第に真剣に友達の体を揺らし始めました。
子供たちの中には、患者さん役の子はもちろん、お医者さん役の子も、
眠たくなってくる子が続出。中には、こっくりこっくり居眠りを始める子も……。


実は、これで大成功なんです。

人を気持ちよくさせてあげよう、と、ふんわりがんばると、自分も相手も
ふんわりいい気分になるのです。

子供たちのほとんどは大成功でした。
 
「実は、先生がまだお医者さんになったばかりのころ、薬が効かへんで、
痛い痛いって泣いている患者さんがいてな。
でも、先生は、医者になりたてやから、治療が上手にでけへんし……。
仕方なくて、先生はみんなに今やってもらったみたいに、
ただ、患者さんのそばにいて、お腹さすったり、背中さすったりしてたん。

そしたら、その患者さん、 「薬よりも効きました。ありがとう」

っていわれて、ニコニコ笑いながら亡くなっていかはってん。
それでな、先生、なるべく、辛い思いをせんで、管もつけず、
楽に過ごさせてあげられる病院に勤めたいなあって、思って、
ホスピスって病院に勤めることにしたんや」




 三時間目 残された時間は3ヶ月? 6ヵ月?
三時間目は、まず、ホスピスのVTRをみることにしました。
 ホスピスというのは、「がんやエイズなどの病気で、あと6ヶ月くらいしか
生きられない」と診断を受けた人が入院する病院です。
普通の病院と違って、手術、抗がん剤、放射線などの強い治療をせず、
痛み、苦しみ、辛さをなるべくとって、管もあまりつけず、好きなことをして過ごせる病院です。


VTRで紹介されたのは、私が6年前まで勤めていた長岡西病院という
仏教ホスピスの様子(NHKスペシャルで放映されたもの)です。

VTRにでてくる患者さんは、「死ぬ前に、もう一度金槌を握りたい。
自分の作ったベンチで看護婦さんと一緒に夏祭りの花火を見たい」
とがんばった大工さん。

「世話になってるお礼に、自慢の腕をふるいたい」と料理を作った料理人さん。
「自分史を残したい。家族と過ごしたい」と言った薬屋の女将さん…などです。

「こんな病院もあるんだ」と知ってもらいたくて、紹介した映像ですが、
VTRをみて、「ホスピスが一番」という偏った考え方を持っては欲しくはありませんでした。

そのため、VTRをみおわったあと、全く逆の道をたどった患者さんの話をしました。

「ホスピスが、すべての人にとって、幸せな病院というわけではないんよ。

たとえば、『点滴でもなんでもして、長生きしたい!
半年後には、孫が生まれるから、それまでは、死ねない』
と、言わはる患者さんもいるねん。

そんな人にとっては、ホスピスよりも、普通の病院で、治療をして
長生きすることのほうが絶対ええねん。

なにが、幸せかは、一人一人の考え方で、違ってくるんや。
ところで、みんなやったら、どう思う? 
重い病気にかかって、お医者さんから、
『治療せんと、楽しく好きなことばかりしてたら、3ヶ月しか生きられへんで。
でも、治療したら、ちょっと辛いかもしれんけど、6ヶ月生きられるよ』

 って言われたら……。どっちがええと思う?」

予想された通り、子どもたちは、だんぜん「3ヵ月」派でした。
さらに、突っ込んで聞いてみました。


「3ヵ月の間、何をするの?」

実は、こういう質問を大人にすると、多くの人は、
「仕事をやめて、いっぱい遊ぶ」「どんどん旅行に行く」など、
「日常の中で実現できていないことやりたい」と話される方が多いのです。

ですから、子どもたちも、「一日中遊びまくる」「旅行をする」
「好きなものを買ってもらう」など、日常十分できないことをあげるのではないか
と思っていました。ところが、確かにそういう意見もあったのですが、
予想に反して、一番多かったのは「友達と一緒に過ごす」
「家族と過ごす」という意見だったのです。


この意見を聞いて、「ああ、この子達は、大切に毎日を過ごせているのだなあ」
と感心させられました。


また、多くの子が「3ヵ月がいい」と言った中、「6ヶ月がいい」といった子がいました。
今中さんという子です。一人だけ、反対の意見をいうのは
どんなに大変だったことでしょう。でも、臆することなくしっかり語れたのは
もしかすると、クラスメートたちの「違う意見もしっかり聞いてみよう」
という姿勢が伝わっていたからかも知れません。


今中さんが、

「話ができなくったって、意識がなくったって、ええやん。
できるだけ、家族や友達のそばにいたいやん!だから、6ヶ月がええ」

と言うと、何人もの子が「そうか、そういう考え方もあるよな」と感心し、
もう一度自分の意見を考え直したようでした。


そして、私もまた、この意見には別の意味で感心させられました。

「話ができなくても、生きていてくれることが大切だよ」
という、私が子どもたちに伝えようと思っていたことを、
彼女は、理屈抜きで、すでに感じられる感性を持っていたからです。




 四時間目 家族が病気にかかったら?
三時間目は、「自分が病気になったら」という話でしたが、
四時間目は、「家族が病気になったら」と考えてもらうことにしました。

「自分が病気ならこうしたい」と思っていても、「家族が病気」となると、
考え方が変わることは多々あるものです。

さて、「3ヵ月」派が多かった子どもたちは、どんな風に感じるのでしょうか?

少しでも想像がしやすいように、例として、私の母の話をすることにしました。
「先生のお母さんはな、『手術すれば一年以上生きられる。放っておいたら、
一年しか生きられへん』って、病気にかかったんや。

先生はな、お母さんに手術してもろて、点滴して、治ってもらいたいと、思った。
でもな、お母さんは『絶対に、手術は嫌や』と言わはってん。

みんなが、先生の立場やったら、どないする?」

それまで、「三ヵ月がいい」といっていた子も、はたと考え始めました。

「30代で死んだら、かわいそうや。80歳ならええけど」
「僕より先に親には死んで欲しくない。長生きして欲しい」
「でも、親のほうが年とってんねんから、順番では、絶対先に死ぬんやで。
そんなん、無理やんか」

「でも、やっぱり、親には長生きして欲しい。だって、なるべく長いこと一緒にいたいやん」
「でもな、自分が『辛いの嫌や』言うたのに、自分が嫌なことを親にさせたらかわいそうやん」
「うちの親、すごい苦労してきたから、これ以上苦しい思いはさせたくない」
「治療して、治るんやったら、ええけど、治らへんのやったら、3ヶ月も、
6ヶ月も同じや。だったら、ちょっと短いかもしれんけど、楽しい方がええ」


意見は真っ二つ!
決着はつかないようです。
意見が出尽くしたとこで、私は、母の話の続きをしました。

「結局、先生はどうしたかというと、治療せえへんことにした。
なぜかというと、誰かもいうてくれたように、自分がされたら嫌なことを、
お母さんにもさせたくなかったからや。

結局、先生のお母さんは、「好きなことできてよかった。満足や。ありがとう」
って言って、1年しか生きられへんっていわれてたのに、
好きなことをして生きたら、2年生きられた。


でもな、先生のお母さんと同じような病気になって、
反対の道を選んだ人もいるねん。その人は点滴いっぱいつけて、
毎日大変やったけど、「辛いけど、幸せや」

って、言うてはった。「なんでやのん?」て聞いたら、
「それはな、『いっぱい治療受けて、なんとか生きてて欲しい。
生きててくれるだけで、私達は幸せなんやで』といってくれる家族がいるからです」

 って、言わはった。この人も結局、2年生きて亡くならはったよ。

大事なんは、病気の人に「幸せやなー」って、
たくさん思ってもらえることやないかなって、先生は思ってる。
病気の人が、「幸せやなー」って思うと、びっくりするようなことが起こるねん!


明日は、「あと1ヵ月しか生きられへん」っていわれた人が
「幸せやな」って気持ちになったら、9年も生きられた話をするで!」

「わあぉ!9年!」
「すごい!」

という声が起こったとこで、一日目の授業が無事終了しました。