「課外授業 ようこそ先輩」 撮影裏話 その2
 授業2日目 一時間目 感想文発表
授業一日目が終了したあと、担任の佐々木先生のご指導の元、
子どもたちは、授業の感想文を書いてくれました。
授業二日目の一時間目は、復習をかねて、まず、その感想文を何人かの
生徒さんに発表してもらうことにしました。


発表は、昨日発言しなかった子、昨日の討論では出なかった意見を選びました。

発表してもらった子どもの中には、今まで人前で発言をしたことも、
人前で発表することもあまりないような子もいました。
そんな子が、いきなり、カメラが三台も回っているような大舞台で
感想文を読むはめになってしまったのですから、本人はさぞ大変だったことでしょう!


全身はぶるぶると震え、声もかすれて、一行一行読むのがやっとです。
でも、クラスメートはみんな、彼の言葉を一言一言見守るようにじ―っと耳を傾け、
心の中で、「がんばれー」と応援していました。
言葉に詰まりながらも、最後まであきらめずに、読みきったときには、
全員から、惜しみない拍手が送られました。


感想文の内容よりも、最後まで読みつづけたクラスメートの姿の中に、
たくさんのことを子どもたちは感じ取ったのではないかと思います。


また、子供達の中には、家に帰ってから、家族と一日目の授業について、
話をした子がいたようでした。中には、

「あんたに死なれたら困るから、あんたが病気になったときには、治療を受けて欲しい」
と、親にいわれた子もいました。この子は、休み時間に、
こっそり私のところにきて言いました。

 「昨日と、意見が変わってしもた。親に、死んだら困るって言われた。
意見、変わってもいい?」

「良かったねえ。死んだら困るっていわれたん?大事に思われてんねんな。
もちろん、ええよ!意見が変わるのは素敵なことや!」


そう答えると、その子の顔はパッと明るくなりました。
他にも、一日考えて意見の変わった子はたくさんいたようです。その反面、

「なんといわれても、絶対、辛いのは嫌や!」
とはっきりいいきる子もたくさんいたのにはびっくりしました。
大人にアンケートをしたときには、まず、こんなにはっきり意見を言い切る人には、
あまりお目にかかれません。


子どもたちのまっすぐな考え方には本当に、驚かされるばかりでした。




 二時間目 そのままのみんなが役に立つ
二時間目は、いろいろな人が、いろいろな形で病人を治した話を
することにしました。


まず、最初は、90歳で奇跡的に元気になったおばあちゃんの話からはじめました。

90歳の柴田さんは、余命一ヵ月と言われて入院してきました。
入院してきたときには、指先がほんのちょっと動かせるだけで、
寝返りもできなければ、声を出すこともできませんでした。
お医者さんには、「絶対治らないよ」と匙を投げられていたのに、
看護婦さんたちが一生懸命看病したら、特別な薬も点滴もしていないのに
元気なりました。そして、ついには歩けるようになって、9年たった今でもお元気です。


「びっくりしたのはな、それからやってん。おばあちゃんが病院の中を
一生懸命歩いていたらな、他にも元気になる患者さんがいっぱい出てきてん。

お薬飲まんでも痛みが取れた人がいたり、科学的に考えたら、
絶対歩けるようにならんはずの人が歩けるようになったり・・…。

別にすごい治療をしたわけではなかったんよ。
「あの90歳のおばあちゃんでも、あんな元気になれたんやもん。
あきらめんとがんばろう。私かて、元気になれるかも」

と思って、おばあちゃんを見習って、みんな、がんばらはったんや。
おばあちゃんにしたら、ただ歩いてはるだけやったけど、
その姿が、みんなに力を分けてあげたんやな。

このおばあちゃんや、おばあちゃんを元気にした看護婦さんたちと
おんなじ力は、みんなにもあるねんで」


そう言って次に話をしたのは、新人の看護婦さんの話と、
麻衣ちゃんという12歳の女の子の話でした。


新人の看護婦さんは、ちょっとドジで、泣き虫でした。
ある日も仕事が上手にできなくて、先輩の看護婦さんに怒られてしまいました。
病室の片隅でべそをかいて泣いていた新人看護婦さんに
優しく声をかけたのは、「痛みが辛い、辛い」と言って、
やはり毎日泣いていた患者さんでした。このことがきっかけで、
新人看護婦さんはこの患者さんをお母さんのように慕うようになりました。

そして、看護婦さんに慕われたことで、生きる元気の湧いてきた患者さんは、
以来、すっかり痛みがなくなったのです。

患者さんの痛みを治したのは、新人看護婦さんの涙でした。

また、麻衣ちゃんの話は、こんなお話です。
麻衣ちゃんのおばあちゃんは、具合が悪くて、あと1ヶ月しか生きられない
と言われていました。しかも、毎日身体が辛くてシクシク泣き暮らしていました。
なんとか、おばあちゃんを励ますことはできないかなと、考えていたところ、
おばあちゃんは、 「家にいたいなあ。家はいいよ。孫と話していると楽しくなるんだ」

と話してくれました。

ちょうど時期は、7月に入ろうとしていた夏休みも間近に迫った頃のことでした。
そこで、ご家族には、「孫の麻衣ちゃんに看病にきてもらって欲しい」とお願いしました。

事情をすべて聞いた麻衣ちゃんは、泣きじゃくりながらも、
毎日見舞いにきれくれることを約束してくれました。


翌日から、麻衣ちゃんが見舞いにくると、病院はとても賑やかになりました。
麻衣ちゃんが、楽しいことをいっぱい見つけてくれたからです。

看護婦さんの制服を着せてもらったり、かっこいい職員の男性にお手紙を書いたり……。
麻衣ちゃんが楽しく遊んでいると、その度に、おばあちゃんは、

「麻衣が何するかわからないから、私がしっかり見守ってないと」
とハラハラして、泣いているひまがありません。

それどころか、痛みも無くなって、急にしゃっきりしてきたのです。
そして、1ヶ月の命といわれたおばあちゃんの命は、ずっと伸びて、
夏休みが終ると同時に亡くなられました。

もしかすると、おばあちゃんは、麻衣ちゃんが学校から帰ってくるのを、
家で迎えてあげたかったのかもしれません。


「こんな風にな、病気になってお医者さんから「治せへん」って言われた人でも、
薬や点滴を使わんでも、周りの人の力で元気にすることができたりするねん。

しかもな、すごい立派な看病をしようと思わんでも元気にできるねん。
たとえば、新人看護婦さんは泣き虫やったやろ? 
麻衣ちゃんは、おばあちゃんに心配かけてたよな? 「泣き虫」とか、
「人に心配かける」のって、「欠点」みたいで、あんまりええことやないような感じがするやん? 

でも、実はこの「欠点」が役に立ったんや。看護婦さんや麻衣ちゃんをみて、
「私でも、この人を助けてあげられる。病気してても、人の役に立てる。
この人から、大切に思われてる」って病気の人の人が思うと、元気になるねん。

だからな、欠点かて、役に立つこともあるねん。
そして、今のみんなにかて、お医者さんよりも、名医になって、
病気の人を元気にする力が眠ってるねん。


次の時間は、みんなの中に、どんな『すごい力』が眠ってるか、探し出す実習やで」




 三時間目 自分の木を描こう!描いてもらおう!
最後の授業では、子どもたちに「自分の木」を描いてもらうことにしました。
目的は、普段あまりじっくり見つめたことがないであろう「自分」という存在を
いろいろな角度から、子どもたちなりに見つめてもらい、

「自分って、こんなすごいところがあったんだ」
と、自分を再発見してもらうのが目的でした。と同時に、
友達や他の人も同じように素敵な存在だと、肌で感じてもらえたらいいと思いました。


青少年の犯罪が、とり沙汰される現在、よく、
「いのちの尊さを教える授業をする必要がある」と言われます。こうしたとき、大人達は、

「こんなに命は尊いものだ。この命が奪われることは、こんな悲しいことだ」
と、「他人の命」を例にとって話をすることで、命の重さをわからせようとすることが
多いような気がします。しかし、クリニックに相談に来る子どもたちの話を聞いたり、
子どもの頃の自分自身の気持ちを振りかえったとき、


「本当に切羽詰るくらい、命の大切さが感じられなくなっている子には、
他人の話をしても響かない」と、つくづく思うのです。それよりも、

「その子自身を大切に思って、その子自身を愛してあげて、愛されていることを実感させること」
の方が、ずっとずっと、命の大切さが伝わるのです。

そして、「自分自身を大切に愛せる子」は、絶対に、他の命も大切にします。
だから、私は、授業の最後には、子供たちが一番、子供たちの生活の中で、
「自分は愛されている」と実感できる授業をしたいと思いました。
そして、その愛されている実感が、前日からの私の話と、うまくつながった時に、
はじめて、子供たちの心の中に「授業の印象」がストンと落ちるのではないかと思ったのです。


〜〜 実習 〜〜

@自分の木を描く 

まず、子どもたちには「自分の木」を描いてもらうことにしました。

「紙の真中に「自分の木」を書いてください。
木でなくても、他に好きなもんがあったら、それでもええよ。
でもな、「自分」には、必ず枝を5本つけて欲しいねん。
枝には、後でいっぱい葉っぱをつけるから、葉っぱのスペースを空けといてな」


すると、子どもたちからは口々に質問が出てきました。

「なんでもええのん? 動物でも? 飛行機でも?」
そういいながら、子どもたちは実にさまざまな絵を描き始めました。
パンダを描く子。ピアノを描く子。大漁旗を描く子。ロケットを描く子…。


「先生、枝、8本やったらあかん? 私、カニを描いてるんやけど、
カニには足が8本必要やねん!」

「そうやな、そしたら、8本にしよ。そのうち、5本だけ使うことにしたらええわ」

私はまず、ここまででとても驚きました。
同じことを大人達にやってもらうと、ほとんどの人が素直に木を描くことが多いのです。
中に変わったものを描く人がいても、せいぜい、中央に自分のシンボルマークを
描いて、そこから蔓のような枝を描くくらいです。


子どもたちは私の思いもよらないところで、自分らしさを発揮し始めました。

また、絵を描くにあたっては、なるべくカメラの映像としてはっきり映しやすいように、
あらかじめクレパスが用意されてありました。
ところが、子供達の中には、クレパスに不満を漏らす子も少なくありません。


「先生!クレパスでないと、絶対あかんの? 
だって、クレパスは細かいところがようかかれへん。そんなん、私の絵らしくない!」

脳裏には、撮影スタッフが苦労する姿がかすめながらも、
ついつい、大きな声で言ってしまいました。

「もちろん、ええよ! その方が、あなたらしいんやもんな!」


A過去、現在、未来の枝を描く

自分の木の中心部分が描きあがったところで、
次に、一つ一つの枝に葉っぱをつけていくことにしました。
葉っぱのかわりに枝に果物をつけたり、マンガの吹き出しのようなものを
つける子もいましたが、もちろん「それでOK」と言いました。


そして、一本目の枝には、「今まで自分がしてきたこと」、
つまり「昔」の自分を描いた葉っぱをつけていきます。


「こんなことができた、こんなものを見た……などなど、なんでもええよ。

人が誉めてくれなくても、自分で『ようがんばれたやん』って思うことがあったら、
それも書いてや。

先生やったら……そうやな。漢字のテスト、いつも0点ばっかりやったけど、
50点取れたとき、『やった―!』って、思った。それを書くかな?」


そう言って、私は自分の枝に「漢字のテスト50点」と書きこみました。
最初のうちは、「なにも思いつかへん」と悩んでいる子もかなりいました。
しかし、私がいろいろ書き始めている子どもの葉っぱを、

「へえ、すごいやん。『逆上がり』ができたん? 先生もすごい苦手やったなー。
先生も、それ書こう。

へえ、『社会科で90点』かあ!すごい、すごい!」と読み上げているうちに、
「なーんや、そんなことでええのんか!それやったら、いっぱいあるわ!」
「私も!」と、次々と思いついたようでした。

中には、「引越し」「火事を見た」なんて書く子もいました。
確かに、「引越し」「火事」は、子どもでなくても大事件でしょう。
他にも、「友達がいっぱいできた」「好きな人ができた」「バトミントンで二位」
なんて、葉っぱを書く子もいました。


そして、同じように、二本目の枝には、「今やっていること」、
つまり「現在の自分」を書いてもらい、三本目の枝には、「これからやりたいこと」、
つまり「未来の自分」を書いてもらうことにしました。


「未来の枝には、叶うかどうか、わからないことでも、なんでも書いてええよ」

というと、子どもたちは、「宇宙旅行に行く」「ドッチボールの監督になる」
「芸能人になる」「人助けをする」…などなど、さまざまな夢を書き始めました。

普段、子どもたち同士は将来の夢を語り合うことがあまりなかったのか、
「へえ、そんなおまえ、そんな夢持ってたんか」
などと、お互いの夢に感心したり、びっくりしあったり……。
子どもの葉っぱを見ているうちに、私の方が、
「私にも、こんな時代があった。こんなことを考えていたっけ」
などと、ハッと思い出したことがたくさんありました。
 

B家族からの葉っぱ
 
四本目の枝には、子どもたちのご家族からのメッセージを
貼り付けてもらうことにしました。ご家族にはあらかじめ、
こんなメッセージを書いて欲しいと頼んでありました。


「子どもたちがここまで大きく育つ間には、きっと彼らの知らないところで、
彼らの存在がご家族の役に立っていたこと、支えになっていたことがあると思います。
そんな素敵なエピソードを1,2つご紹介いただければ幸いです」


実は、このメッセージを書いてもらうことは、私も製作スタッフも、ずいぶん悩みました。
中には、家庭の事情でメッセージを書いてもらえず、
白紙で持ってくる子もいるのではないか、と一抹の不安がよぎったからです。


しかし、私達の不安は大きく吹き飛ばされました。
ご家族からのメッセージは、どれも、とてもすばらしいものだったからです。


「さあ、お家の人からの、お手紙を開けてみよう!」

の声で、一斉に子どもたちは袋を開けて、メッセージを読み始めました。
わあっという歓声と共に、ちょっと恥ずかしげで、嬉しそうな顔、顔、顔……。
「ええメッセージやん!読んで読んで!」
私が、子どもをつつくと、照れて黙ってしまい、スッと紙を手渡してくれました。

「じゃ、先生が呼んでもええ?」

というと、こっくりと恥ずかしそうに頷きます。
私は子どもたちの席を一つ一つまわって、子どもたちに代わって
メッセージを読み上げました。


「『この子の誕生日に、ぬいぐるみを放り投げるようにして、
「はい、プレゼント」と言って渡しました。すると、この子が、
「ぬいぐるみさん、痛いって言ってるよ」と言いました。ハッとしました。
次からは、プレゼントは、必ず手で渡そうと思うと同時に、
こんなに優しい考え方のできる子どもに育ってくれたことを嬉しく思いました』


……そんなことがあったん?……自分では覚えてへんの? 

そっか、自分では覚えてへんようなええ話も、お母さんは、
いっぱい覚えてくれてたんやなあ。よかったなあ!」

子どもはテレながらも、嬉しそうな笑顔でいっぱいです。
「『あなたが笑うと、お母さんも嬉しい。あなたが悲しむと、お母さんも悲しい。
だから、あなたがいっぱい幸せになってくれることが、お母さんの幸せです。
あなたは、生まれたときからではなくて、私のお腹に宿ったときから、私たちの宝物です』


……よかったなー、生まれる前から、ずーっと、大事に大事に思われてたんやなあ!」

子どもとにっこり笑顔で見つめ合いました。

「『この子がまだお腹にいたとき、おじいちゃんが重病にかかりました。
なんとか元気になってもらいたくて、
「生まれた子の名前は、おじいちゃんがつけてね」といいました。
おじいちゃんにとって孫は5人いましたが、おじいちゃんが名前をつけたのは
あなたが初めてでした。その後、おじいちゃんは、
「わしが名前をつけた孫に会いたい」といって、一生懸命がんばったので、
奇跡的に回復して元気になりました』


……すごいやん!先生が今日話した話と同じや! 
君は生まれた時に、おじいちゃんの病気、治したったんやなあ!」

本人も、クラスメートもびっくり顔です。

どれもこれも、すべて紹介したいくらい、愛情のこもった文章ばかりでした。
中には、本当に無骨な字と、たどたどしい文章で、

「いつもなぐってごめんな。でも、一番たいせつに思っている。父より」
と書いてあったメッセージもありました。
おそらく、文章など日ごろほとんど書かないお父さんが、
子どものために一生懸命かいたのでしょう。


子どもたちは、「自分が思っていた以上に両親から大切に思われていた」と、
肌で感じることができたようで、私も、子どもも、スタッフも、涙々の嵐でした。



C友達の木に、みんなで書きこもう!

 
最後には、友達同士、お互いの枝に書き込みをすることにしました。
お互いのいいところを一生懸命探しあって、書きこみます。これは、

「他人の素晴らしいところも、たくさん見つけられるようになって欲しい」
という願いを込めての実習でした。
なぜなら、人のいいところをたくさん見つけられる人は、その人自身も
他の人から大切にされるからです。


最初は戸惑いながらも、お互いの机を周りながら、ああでもないこうでもない、
と書き込みをはじめたようです。


友人たちに素敵な書き込みをしてもらった子の中には、

「私はみんなから嫌われてると思ってたのに、「優しい」「面白い」
と書いてもらって、嬉しかった。自信がついた」という子もいました。
また、「友達が、「けがをしたとき、心配してくれてありがとう」と書いてくれた。
自分では、すごいことをしたつもりはなかったのに、
森津先生が教えてくれたように僕も人の役に立ってることがあるんだと思った。

こんなことなら、他にもいっぱいできるような気がする。人の役に立ちたい」
という子もいました。

本当に素敵なコメントをお互いに書きあってくれました。

でも、絵を見ているうちに、私はもっと大切なことに気づきました。
わざわざ文章で、お互いのことを書き合わなくても、子どもたちは、
ちゃんと、心の中で、友達としっかりつながり合っていたのです。


あるグループは、知らず知らず、みんなが同じような色使いをすることで、
お互いつながりあっていました。また、
「隣りの子が魚を描いたから、僕も大漁旗を描いたんだ」という子もいました。
私が誘導したわけではないのに、同じグループ同士の子の絵には、
なにかの共通点がちゃんとあったのです。


「ああ、私は理屈で考えて、物を教えようと思っていたかもしれない。
そうじゃないんだ。子どもたちの中には、それぞれにすでに大きな可能性がある。

私たち大人は、それを見つけて、潰さずに、いい形で伸ばしていけば、
それでいいのかもしれない」と、子どもたちの絵をみて思いました。


結局、もしかして、授業全体を通して、私がいいたかった、

「あなたたちの命には、たくさんの可能性があるよ。
あなたたちは、そのまんまで役に立っているんだよ」

ということを、子どもたちから、さらに深い形で私の方が教わった
二日間だったような気がします。




 放課後のエピソード
授業以外にも、たくさんのいいエピソードがありました。
中でも感動したいくつかをご紹介します。

(休み時間のドッチボール)

休み時間には、子どもたちとドッチボールをしました。

この学級には、「学級遊び」というのがあって、毎週月曜日は、クラス全員で
いろいろな遊びをするのだそうです。


もちろん、ドッチボールが嫌いな子もいます。でも、「今日は何をする」と決めると、
「嫌だなあ」といいながらも、ちゃんと、全員で楽しく遊んでいます。
担任の先生も、よく、学級遊びには参加されるようです。でも、この日は不参加。
子どもたちからは、こんな声が…。


「先生、なんで来ーひんねやろ。全員が参加した方が、学級遊びは楽しいのにな」

本当にびっくりするほど、お互いに、思いやっているのです。

遊んでいると、さらにそれがよくわかりました。女の子達が狙われ始めると、
さっと前に出てかばう子。実力があるのに、自分は目立とうとせず、
友達にボールを回してあげる子などなど…。
自然と、クラスメートを思いやっている子が多かったのに、驚きました。



(担任の佐々木先生)


こんな素敵なクラスを育てた佐々木先生もまた、ものすごく素敵な方でした。
すべての授業が終って、佐々木先生が一言。
「二日間、ようがんばったな!先生、とっても感心した。
がんばった自分に、拍手!」
 
また、放課後、残っている子どもに、
「今日は、ほんまにええ表情してたな。いつも美人やけど、今日はもっと美人やったで。
先生の授業のときも、また、そんなええ表情してほしいな」

ほんとに、自然な落ち着いたトーンで話される、誉め上手ないい先生でした。


(校長先生)
 
「森津先生が小学校のとき、校長先生は誰やったん?」
休み時間になって、子どもたちに囲まれたとき、真っ先に出てきた質問でした。
普通、「校長先生は誰?」なんて、真っ先に質問しませんよね。

『ははあ、これは、校長先生は相当人気があるんだな』と思いました。

「校長先生、大好きなんやね?」

「大好きや! 校長室に行くと、楽しいもん!」
びっくりしましたね―。本当に、校長先生は、子どもたちの人気者でした。
面白いし、本当に自由な発想の持ち主なんです。


「うちの学校では、茶髪もOKなんですわ。
だって、茶髪やから、不良になるわけやありませんもん」

とはっきり言いきられるのです。

実は、今回の課外授業の影の立役者も、校長先生でした。

「子どもたちには、平等に機会が与えられなければと、私がくじ引きで
担当クラスは決めました。くじにあたらなくて、すごく残念がった生徒もいました。
でも、世の中って言うもんはそんなもんです。
平等なようでいて、どうしても平等にできないこともある。

どこかにしわ寄せがくることもある。しかし、そこで踏みとどまっていたら、
新しいこと、いいことはできないでしょう?

今回は、私達では教えてやれない経験を子どもたちにさせてやれる
と思ったんですよ。学校全体として、少々不自由はあっても、
今回体験した子達を通して、いろいろ素晴らしい影響もが広がっていくと思うんですよ」


校長先生、大物です!



(校庭の老木)


小学校の校庭の片隅には,桜の老木が一本、寒空の中で,一生懸命
大空に向かって,枝を伸ばしていました。
その木は幹が崩れて1/3ほどの太さになってしまい,
まるで、どこかの海に流れ着いた流木のようにボロボロの姿でした。


晩年を迎えて、朽ち果て崩れ落ちる瞬間はすぐ目の前に
迫ってきている桜ではありましたが、この桜も「早く花を咲かせておくれ」と
期待の目で見つめられた、初々しい苗木時代があったでしょう。
そして、自信に満ち溢れた青年のように、美しい花々をいっぱいに
咲かせた時代もあったはずです。


しかし、ふと見ると,そんなボロボロの幹の一番てっぺんには,
季節を間違えて出てきた二枚の青々とした葉っぱが,大空に向かって,
凛と手を広げていたのです。


「まだまだ,生きているよ。こんな寒空にだって負けてないよ。
まだまだ,大丈夫,だってほら,こんなにがんばっているでしょう」


老木から,そんな声が聞こえてきたように思いました。
思わず,私は患者さんたちの姿と重ね合わせ,心の中で声をかけました。


「また,次に会うまで,がんばって,生きていてね! また,絶対に,会おうね!!」