ひまわり先生のひとりごと (2003年11月) 
  2003年11月6日
いろいろなことがきっかけで、最近、自分の時間の使い方や生活を、再度見直しをしている。

今まで、「あれもやらなきゃ。これもやらなきゃ。これも…」と、
いろいろなことに夢中で手を出してきたけれど、振り返ってみると、
その中で、本当に大切で必要なものというのは、ほんのわずかだった気がする。

まあ、そのほんのわずかの大切なものを発見するために、
そうした労力が必要だったとは思うけれど・・・。

と同時に、「到達すべき目標。こなすべき課題。考えること。
一緒に過ごす相手」などがいっぱいある方が、
なんだか充実した時間を過ごしたような錯覚を起こしている部分があったかもしれないなー、とも思う。

特に、「悩み事」なんかをたくさん抱えていると、それをクリアーするまでの間、
すごく努力したような気分になったりする。
でも、ふと振り返ると、実は、同じ問題を堂々巡りして考えていて、
時間を相当ロスしていたこともあったかも・・・と思う。
 なので、

「ここらへんで、日々の生活も、心持もできるだけシンプルを心がけよう」
と、小さなことから生活改善を始めることにした。
ともかく、「一日にたくさんのことはしない。自分にとって、一番大切だと思うことから始める。
一つ一つのことを心をこめてやる」と決めた。

そんな風に過ごし始めて、自分の身の周りをふと見てみると、
小さな幸せは部屋の中にもいっぱい転がっていることに気がついた。

観葉植物、香炉、家具、カレンダー、ぬいぐるみ・・・。
結構、どれも、幸せそうな顔つきをしている。
童話「青い鳥」で、旅をして帰ってきた子供たちの目には、
貧しい家がとても輝いて映った・・・というくだりは、実に意味深い話だったんだなーと、今になると思う。

普通に,朝おきて,食事をして,仕事に出かける日々がとてもいとおしいと思う今日この頃・・・。



  2003年11月10日
最近、看護師さんやお医者さんからの相談が多い。その多くは,
「自分のような未熟者が働いていていいんだろうか。
まだまだ,あれもこれも,努力が足りない。自分に自信が持てない
将来の道への不安と疑問を感じる」
というようなもの。

でも,生きている人間で,欠点のない人なんて,いないと思う。
死ぬまで,人生の修行は続く。
足りないところがあるもの同士,助け合っていけばいい。

それに、「ここが未熟だ。こうなれたらいいな」と,ちゃんと自覚と目標があれば,
どんなに難しいことでも,いつかは達成できる可能性がある。だから,納得がいくまでがんばればいい。

反対に、「どう逆立ちしても,これは苦手だから,私には出来ない」
と思えば,さっさとあきらめて,得意な面を伸ばしてもいいわけだ。


今の自分が出来る精一杯のことを心をこめてやっていれば,
神様はその人を一番役立つように取り計らってくれるに違いないと,私は信じている。


ところで,精一杯必死で生きている若者の中には,
相当ハチャメチャな生き方をしている人もいる。

そんな子供を持った親御さんは,相当ハラハラするようだけれど…。
若いうちにやりたい放題をやって,納得した人は,
社会に出てから,しっかりした生き方をしている人が案外多いものだ。

とはいえ、自分の子が・・・と思うと,やはり,親としてはどうしても心配になるものだ。

そんな中で,先日,実に腹の座った親御さんに会った。
子供さんは,天真爛漫に,いろいろなことにチャレンジしているようだけれど,
大きな暖かい目で見守っておられる。その親御さんは、きっぱりこう言い切った。

「どんなことでも,経験です。
馬鹿なこと,とっぴなことがやれるっていうのは、若者の特権だと思うんですよね。
年をとったら,否応でも,ある程度は協調性のある生活をすることになるのですから・・・。
だから、若いときにしかできないことを,精一杯やればいいと,思ってるんですよ。
その中で,必ず,何かをつかんでくれると信じてますから」

いやー,あっぱれ!
この親御さんの態度は見習いたいものだと思った。

でも,考えてみたら,私自身も,相当ハチャメチャな生き方をしてきたけれど,
「そのとき,そのときを,へたくそな生き方でも,自分なりに精一杯生きていた」
という思いがあるから、自分生き方に後悔はない。
それに、「やるだけやっても、できることはここまで」という限界もわかったから,
年とともに,すぐにあきらめもつくようになった。

ちゃんと,ハチャメチャも役立っていると,今では思える。

「未熟であること」「生き方がへたくそなこと」は,悪いことじゃない。
未熟で,へたくそな人が,一生懸命がんばっている方が,上手に生きている人よりも,
人に生きる力を与えることは少なくない。

ぎりぎりの生死の現場にいると,そのことを痛感する。

それに、未熟な人にだって,必ず,なにか一つくらい「とりえ」が絶対にある。
もし、部下の未熟をなじる上司がいるとしたら,
私はその上司も「上司として未熟だ」と思う。

本当に「できる上司」というのは、その人その人のいいところをちゃんと引き出して,
適材適所の配置ができ,部下を育てることが出来るものだ。


 しかし…。
 生き方のパターンというのは,根本的に変わらないみたいだ。
 実は私、35の手習いで始めたフラメンコとお能も、同じ様なパターンで学習している。

つまり,エネルギー全開で,やりたい放題納得いくように,自分らしく学んでいるのだ。
そんな私を見て,「下手なのに,よくこんなことにチャレンジするよね」という人もあれば,
「素人の面白さって,その一生懸命さと,元気の良さだね」という人もある。


私はそんな反応に結構満足だ。
だって、ある程度上手でそつない芸は,きれいかもしれないけど,
10年たったら,確実に忘れられてしまうものだ。

でも,下手でもインパクトの強い芸は,何年経っても,心に残るだろう。
それになにより、「良い」でも,「悪い」でも,「好き」でも,「嫌い」でも,
何でもいいから,人の心に「強く感じること」を心に引き起こすことができれば,それをきっかけにその人が,

「自分らしさ」を考えるだろう。

私が私らしく一生懸命生きていることで,誰かがなにかを感じる・・・。
そういうチャンスが日々の生活の中にたくさんあればいいなー,と思う今日この頃。



 2003年11月17日
週末は松本に出張だった。
普通の講演とは一風変わった形だったので、とても面白かった。


舞台の上に即席ひまわりクリニックを作って、診療風景を再現。
神宮寺の高橋住職さんが患者役になって、
ひまわりでよく相談される内容を質問し、私が答えるという趣向。


高橋住職さんが、ターミナルケアに、とても詳しいからこそ、できた手法だと思った。
聴衆の皆さんも,きっと,飽きがこない上,
わが身に置き換えて聞くことができやすくて,良かったのではないだろうか。

 
ところで、出張から帰ってきたあと、またまた、部屋の片付けをはじめた。
昔、地方勤務で、シンプルに暮らしていたときと同じくらい部屋がきれいになったので、ルンルンだ。

ところが、部屋がきれいになったら、途端に、布団のカバーがとても古ぼけているのに気がついた。

考えてみれば、10数年以上、同じ布団カバーとシーツを使い続けていた。
いくら洗濯をしても、きれいにするには限界があるわけだ。


なので、「10年に一度の贅沢」といいつつ、布団カバーを買い換えることにした。
どうせ、今回買い換えたら、また、数年(いや、また10年以上?)
買い換えないのだろうから、できるだけ、自分の好みに合ったものを買おう!・・・と、決意!


近くのスーパーを何軒もはしごして、色や柄は、こだわりにこだわったのだけれど、
将来の貧乏性が出て、結局買ったのは、「シーツ、掛け布団カバー、枕カバーの3点で、1280円」の代物。


ついでに、安い部屋着兼パジャマも590円でゲットした♪

ああ、山の手マダム、シロガネーゼのようなセレブな暮らしには、程遠い私・・・。



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