ひまわり先生のひとりごと (2006年1月) 
  2006年1月10日
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

今年こそはちゃんとHPを更新したいと思い、なんとか、本日、「ひとりごと」をアップしました。
でも、いつまでがんばれることやら…。

 年末は、すっかり、BSの「チャングムの誓い」にハマりまくってしまいました。
「食とは何か。医術とは何か。生きるとは何か」というテーマを
実によく掘り下げてあって、感心! 
特に、医療に関する描写は、現代医学が忘れていることを問いかけているようで、本当に感動でした。

 「医術を行う者自身がまず、手本となる生き方、生活ができてはじめて、患者を治すことができる」とか、
「人もまた自然の一部として、自然の営みの中で生かされていることを知って、
治療にあたることが大切」とか、
 「患者の痛みが理解できない者は、医術を行う資格はない」とか、
 「病気の症状を押さえ込むのではなく、病を流れに沿って病ませてあげることが、
病を軽くするコツ」とか…。
 いいセリフは、挙げればキリがありません。
 
それになにより、自分自身の歩んできた人生のいい反省になりました。
なにせ、ドラマの中で起こる問題やその対応方法が、
自分自身と非常に酷似していたので、自分の人生を客観的に見ることができたのです。

「ああ、ここでこういう態度をとったら、相手はこう出るよなー。
もし、違う対応をしたら、きっと、違う結果になったに違いない。
なるほど、問題がこじれて、人生が波乱万丈になったのは、自分自身のせいだったのねー」
と、妙に納得しました。

ついでに、お正月は駅伝に感動!
まさか、まさか、亜細亜大が優勝するとは思いませんでした。
「最後まであきらめず、ひたすら、平常心でがんばりぬくことの大切さ」
を教わった年の初めでした。

しかし、そんなこんなですっかり楽しく年末年始を過ごしてしまったお蔭で、
仕事の積み残しのしわ寄せが年明けにきてしまい、大変なことに…!

ただでさえ、昨年末、転居に伴って住所録がバックアップ共々吹っ飛んでしまい、
年明けは、住所入力が大変だっていうのに…。
年明けから、医者の不養生にならないように、気をつけなきゃなあと思う今日この頃でした。



  2006年1月18日
年明けから、取り組んでいた原稿の下書きのめどが、
ようやくたち、ホッと一息ついています。

通常だと、私の場合、原稿の下書きをはじめると、3−7日、寝る間も惜しんで、
夜昼なく、ひたすら、時間をみつけては、だーーーーっと、書きとめる…
というやり方をするのですが…。
今年の場合は、大量の年賀状書きと住所入力という大仕事があったので、
そんなことをした日には、風邪と膵炎をこじらして、ダウン…なんてことにもなりかねないと思い、
「夜9時以降は、なるべく仕事をしない」
「早寝&健康的な食事を心がける」
と心がけました。

でも、「やりかけの原稿をそのままにして、次の日に持ち越す」
「何日も原稿の下書きが終わらないままの状態が続く」というのは、
それはそれで、相当ストレスになることが判明。
次に原稿を書くことがあったら、やっぱり、大変でも、一気にやる方がいいかなーと、
思う今日この頃です。

ところで、いつもパソコンに向う作業というのは自室でやっているのですが、
今回は、防寒対策ということで、一階のコタツで作業していました。

すると、寂しがり屋のルナちゃんが、
「なになになにー。なにやってるのー?」
という感じで擦り寄ってきて、パソコンの上や横から、顔を出して、
「いい子いい子して!」
と、要求します。

おやつに、芋ケンピなんかをつまんでいると、これまた、
「私も食べる!」
とばかりに擦り寄ってきて、尻尾を振ります。
一コだけ分けてやると、まるで、骨ガムをかじるように、抱え込んで食べるんです!
そして、私が原稿に集中し始めると、パソコンの横で、いびきを掻きながらグーグー寝てしまうのでした!

その愛らしい姿にすっかり癒されて、
「これから、パソコン作業はなるべくコタツでやろう!」
と、決心した私なのでありました!

ルナちゃん、協力ありがとう!




  2006年1月24日
花粉症は二月から…と世間では言われているが、
花粉に敏感な私はいつも12月初めには症状が出る。

今回は11月に山の方に行った時に、すでに、被害を被り、ひどい目にあった。
 
なので、今年は、飲食物に気を使い、外に出る時にはマスクもして、
体調管理に勤めてみた。そうしたところ、粘膜が強化されたのか、

 「花粉が飛んでいる」
のは、体が感じているけれど、症状はほとんど出ず、薬も飲まずに済んでいる。

ついでに、チャングムに影響されたこともあって、「食材」の薬効に
興味を持った私は、「食」と体の反応の関係を試してみているのだが、
これがけっこう面白い。

巷では、サプリメントだ、水晶だ、アロマだ、酵素だ、なんだかんだ…と、
いろいろな療法がはやりだけれども、汚れきった体にいくら、
いいものを取りこんでも効果は得にくいかもしれない。

まずは、基本に立ち返って、体作りの軸になる「食」と「生活」を整え、
体が浄化したところに、いいものを取りこんだ方が効果は高いかも…と、
しみじみ思う今日この頃。



  2006年1月30日
出版予定の本の原稿の下地プロットが、無事通ったので、ホッと一安心。
余裕ができたところで、久々に、溜めこんでいたビデオを見た。

その中で、なかなか感動的だったのが、「ラストエンペラーの弟
「博傑」の娘さんが、父親の半生をたどる旅に出る」というドキュメンタリー。
ラストエンペラーの弟夫婦の物語は、以前、「流転の王妃」
というドラマとして放送されて、その時も相当感動した。
でも、やはり、実際の当事者の話にはかなわない。
淡々と語られる静かな話の中に、壮絶な人生物語がにじみ出ているように感じた。

特に、心打たれたのは、「博傑」の娘さんのこんな話だ。

「私が生きてこの世にいるのは、犠牲になったたくさんの尊い命のお蔭なのです。
敵の銃弾にあたらないようにと、私の体を布団でくるんだ上、
さらにたくさんの兵隊さんたちが身を呈して弾を受けて守ってくれました。
私が助け出された時、布団の上には、たくさんの兵隊さんの遺体がありました。
ですから、彼らの分も生きぬくことが私の勤めだと思っています」

「物心つかない時に父と別れ、16年ぶりに再会した時、
父は私にひよこのおもちゃをくれました。
なぜ、こんな物をくれるのだろう…と、ずっと思っていたのですが、
今回の旅で、父の脳裏に焼き付いていた幼い私の面影が、
「ひよこと遊ぶ姿」だったと知りました。
父は16年もの間、ずっと、幼い私の姿を心の中に暖め続けてくれていたのだと、
初めて気がついて、感謝の気持ちでいっぱいになりました」

「父はいつも手紙でこう書いてくれていました。
『あなたが健康で、幸せでいてくれることが、私にとっての最高の幸せです。
ですから、私の幸せのためにも、あなた自身がまず幸せでいてください。
それが父の願いです』と。父は、相手に歩み寄っていくことが
なにより大切だと、教えてくれました」

「母は父と結婚したばかりに、数奇な運命をたどり、時代の波に翻弄され、
父とも長い間離れ離れに暮らし、苦労に苦労を重ねてきました。
母は幸せだったのだろうか…と、思うこともありました。
でも、母が亡くなった時、人目も気にせず、遺体にとりすがって、
泣き崩れる父の姿を見た時に、「ああ、女として、こんなに思われたなんて、
本当に幸せな一生だったかもしれない」と思いました」

豊かで恵まれた時代には、味わうことのできない体験というものが、
壮絶な時代にはあったのかもしれないなーと、つくづく思った。

ところで、先日、出かけた非常勤先の高齢者住宅で、
軽い痴呆かかった入居者がこんなことを漏らしていた。

「ねえ、お姉さん。僕は、ここで何をすればいいんだい?
働かなくていいのかな?
ああ、今まで働いてきたから、ここでは働かなくていいのか…。
ここにいる人は、みんな働かなくて、三食食べさせてもらって、住まわせてもらえるの?
ほんとの本当に、それでいいの?
みんなそうなの? 今の時代は、なにもしなくても、食べていけるの?
…それはありがたいことだなー。なにもしないのに、住む所もあって、食べられて…。

でも、でも、本当にそれでいいのかい?
それで、日本は大丈夫なのかい? この先も、やっていけるのかい?

昔は、「働かざるもの、食うべからず」って、ずっと言われてきたんだよ。
今は、そうじゃないのかい?
なにもしなくても食べられるっていうのは、幸せなようでいて、なんだか、不安だねー。
ほんとに、それでいいのかな?
日本の政策、何か間違ってやしないかな?
でも、でも、きっと、そんなことを考えないで過ごした方が幸せなんだろうね」

お年よりやニートが安心して暮せる時代。
確かに、幸せなようでいて、何かが不安な時代…なのかもしれない。




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