ひまわり先生のひとりごと (2006年4月) |
2006年4月4日 |
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20数年ぶりに、皇居の桜を見に行って来た。
あまりにも容貌が変わっていて、びっくりした。
昔は、皇居の桜といえば、垂れてくる桜に土手の黄色の菜の花、
お堀の緑が実に美しく調和している…というイメージだったのに、
今は土手がすべて桜で覆い尽くされている!
今思うと、昔の皇居の桜は初々しかった。
なんだか、今の桜は熟れ切って、ちょっと老いの角を曲がりかかった熟女って感じ…。
桜を見てなんだか、「ああ、私も年をとってしまったのねー」と、実感してしまった。
ところで、会計士さんのところから、確定申告の資料が返って来た。
普通の人の1ヶ月の給料分くらいの税金が還付されると聞いた時は嬉しかったけれど、
最終決算書を見て、愕然とした。
講演料、原稿料、取材料、全部合わせても、ひまわりでの私の収入は
パートのおばさんとタメ張れるくらいしかない! おそらく同い年の医者の月給より安いかも?!
でも、妹はさらに上をいっている!思わず、二人で貧乏自慢大会をはじめてしまった。
ちょっと虚しいけど、そうやって笑い飛ばさないと、この決算書は見られないって感じ。
マジで、今年の収支を見た上で、今後の仕事の方針を考えなくちゃ…。
でも、物欲がほとんどない私としては、このくらいのお金があれば、
日々の生活には全然困らないから、まあいいかって感じ。
日々、気持ちよく過ごすためには決算は見ずに、還付された税金だけ見てよーっと♪
こういうのって、ほんとに、ポジティブシンキング?
いいのいいの。結局、幸せなんて、環境じゃなく、心の状態だから。
税金の還付通知だけ見てたら、心は幸せでいっぱいだもんねー♪
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2006年4月20日 |
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原稿に追われているうちに、あっという間に日が過ぎてしまった。
でも無事、本格的に原稿が私の手を離れたので、ホッと一息。
これからは、編集デザインが入って、活字になって、それをチェックして…
といろいろな人たちの手を加えてもらって、本という形になる(なので、
できあがりはまだもう少し先になります。
何人かの方から、題名と出版時期の問い合わせをいただきましたが、まだ未定です。
わかり次第、HPで告知します。
本を作っていると、本屋でたくさんの本を見るたびに、
「この本たちも、たくさんの人たちの愛情を受けて育ってきたのねー」
といとおしく感じられてくる。
ところで、原稿に夢中になっているうちに、いつの間にか、
ひまわりの玄関先にある猫の額ほどの小さな庭は春爛漫になった。
ミモザ、クリスマスローズに続いて、ライラック、チューリップ、カロライナジャスミン、
ツルニチニチソウが咲き、今週に入ってハナミズキ、こでまりが咲き始めた。
植木屋さんからは、
「植えたばかりだから、来年は花が咲かないけど我慢してね」
といわれるくらい、どの植物も最初は本当にしょぼしょぼの姿で、
「花は咲かなくてもいいけど、ちゃんと、根付くんだろうか」
と不安になっていたのだけれど…。
これだけ花が咲いて、緑の葉っぱがすくすく伸びてくるととても嬉しい。
実は、クリニックを作る前「森の中で診療できたらいいなあ」と思っていた。
でも、庭が小さいのであきらめていたのだけれど、これだけ日に日に
緑がわさわさと茂ってくると、森とは言えないけれど、プチ森林浴気分。
ついでに、スタッフはひまわりで自家栽培しているハーブで、
生ハーブティなんぞを楽しんでいる(なんて優雅なんでしょう!)
さらに、新しいひまわりのお蔭で、これまではあまり目を向けたことがなかった植物に
心が向くようになった。
日々変化していく植物の姿を見ていると、
「生きるエネルギー、育つエネルギーってすごいなあ」と思う。
本当に、「生きて、育つ」だけでも素晴らしい奇跡だ。
人間も自然も、一番大切なことはそれだけなのかもしれない。
でも、ついつい、欲が深くなるから、ごちゃごちゃになるのかもねー。
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2006年4月29日 |
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お能の世界では、リハーサルのことを「申し合わせ」という。
先日、お能の発表会の申し合わせがあった。
実は、私はものすごいアガリ症。
舞台に出る前は、心臓がバクバクするのがとめられない。なので、いつも、
「大丈夫。バクバクしてても、それなりにできればいいんだから。
上手にやろうとしなければ大丈夫」
と、必死で自分に言い聞かせている。
今回はそれに加えて、
「フジコ・ヘミングみたいな大物でも、本番の前は「間違えませんように」と、
神様にお祈りするんだから、私みたいな素人がどきどきするのは当たり前」
なんて、朝からぶつぶつ自分に言い聞かせていた。
ところが今回、舞う順番が一番最後だったお蔭で、
他のお弟子さんたちの舞を見ているうちに、いろいろなことに気づいて、
だんだん気楽になってきた。
何に気がついたかというと、
「白を持ってない人は白は演じられないし、赤を持ってない人は赤は演じられない。
結局、その人自身が本来持っているものの範囲でしか、演じることは出来ない」
ということ。さらに、
「赤を理解していても、「赤」の表現方法を知らない人は、赤を演じられない」
ということ。
もっと突き詰めていえば、
「どんなに悪あがきをしてがんばっても、自分が出来ることには限界があるし、
どんなに違う役を演じているつもりでも、自分自身という範疇の中で
違う部分を見せているだけに過ぎないんだ」
ということ。
まあ、ようは、「自分以外の人間にはなりようがない」ってことね。
そんな風に、いい意味で諦めがついたので、
「結局、私は私らしく、舞いたいように舞えばいいんだわ」
と肩の力が抜けたお蔭で、気楽にリハーサルに臨めた。
加えて、謡いがものすごくよかったので、すっかり乗せられて
ルンルン楽しく舞えてしまった。
結果的には、練習の時以上に上手く舞えたので、
たぶん、本番ではこれ以上上手くできっこない。
それもある意味、いいあきらめになっていいかも…。
「申し合わせの時ほど、上手くできる可能性は少ないんだから、
がんばらずに、気楽に楽しむことだけ考えよう!」
と思えば、本番も楽に違いない。
…そうすれば、上手くすると、リハーサルと同じくらい上手くできちゃったりして…
とやっぱり、どこかで欲の皮を突っ張っている自分がいるのも、まあ、良しとしよう!
ルナ 「ああ、よかった!これでやっと、義経役(相手役)から解放されるわ!」
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