ひまわり先生のひとりごと (2001年7月) 
  2001年7月2日
変身!

先日、3週間ぶりに、めぐみ先生のフラメンコのレッスンにいってきた。
最近、お能で、たくましい男の曲を練習していることが
多いこともあって、バランスをとるために、
「フラメンコでは、めいっぱい女らしい優雅な曲を練習しよう」
と心に誓って、練習にはげんでいた。……つもりだった。

しかし、レッスンで、私が踊り始めたら、めぐみ先生は、
腹を抱えて、ケタケタ笑い始めた。

「純ちゃん、どーしちゃったの? すっかり、男になっちゃってる!
気をつけないと、男から、脱出できないかもよ?」
と言われて、大ショック!!!
どうも、扇子のたたみ方一つとっても、お能の男舞になってるらしい!!

自分では、以前と同じように踊っているつもりなのに、
いつから男になっちゃったんだろう!? 習慣って怖い…!
 
ところで、お能の方でも、こんな話が……。
お稽古が終わったあと、T先生が、笑いながら
私に向かってこういった。

「森津さんは、どうしても、まだまだ、動きが早過ぎるところが
ありますね―。まるでネコの群れの中に、一匹だけチーターが
混じっているようですね。
チーターは、早く動けるんだから、ギリギリまで動かなくて
いいんですよ。最後にダッシュをかければ…」
ああ……ほんとに女から遠ざかっていく……。
 
……という話をクリニックでしたら、織田ちゃんが
ケラケラ笑いながら一言。

「先生、お能の次は、いっそ、和太鼓なんか、どうですか?
モーニング娘。の「十人祭」みたいに、わっしょいわっしょい、
ズンドコズンドコ、ソイヤソイヤッ!ってやったら、とっても似合ったりして!!」

そんなことしたら、二度と女に戻れなくなっちゃうかも!
なんとか、変身を食い止めねばっ!




 2001年7月9日
「幸せ」について

最近、「「幸せ」とか、「不幸」ってなんだろう?」
と考えさせられる機会が多くあった。
「不幸だ」と、思っている人に、その理由を聞いてみると、
確かに、「そんなことがあったら、とっても辛くて、苦しくて、
「不幸だ」と感じるだろうなあ」と思わされる。

しかし、同じ状況の中にいても、中には「不幸」と感じてない人も
いる。なぜなのだろう?
それは、「幸せ」とか「不幸」というものは、本来は、
人の心の中にあることだからではないだろうか。
私たちはどうしても、周囲の状況のせいで、「幸せ」になったり、
「不幸」になったりすると思っている。

でも、本当は、周囲の状況は単なる「幸せ」「不幸」という感情を
引き起こすための誘因であるだけなのだ。
「幸せ」とか「不幸」は、もとをただせば、どちらも心の中の感覚にすぎない。
幸せをたくさん感じていたときのことを思い出せば、
すぐ「幸せな気分」が湧いてくる。
辛かったときのことを思い出せば、「不幸な気分」になれる。

ところが、困ったことに「不幸」という記憶は、かなり鮮明に
思い出せて、思い出すたびにどんより落ち込めるけれど、
「幸せ」という記憶は、どうも思い出すのが苦手な人が多いみたいだ。

特に、うつ傾向のある人、神経質な人、落ち込みやすい人ほど、
「不幸な感覚」は、すぐ思い出すのに、
「幸せな感覚」を思い出すのは難しい。
なぜだろう? …と考えるに、それは、「不幸」の方が刺激的で、
印象深いからかもしれないなーと思う。 
「不幸」という感覚は、刺激的で、スパイシーで、食事でいえば、激辛料理。
「幸せ」はどっちかというと、甘いお菓子だ。
どっちが印象深いかというと、激辛の方が印象深い人が多いんじゃないだろうか。

人間というのは、刺激を求める生き物だ。
テレビのニュースやワイドショーなどを見たって、
「カルガモの子供が生まれました」「芸能人のなんとかが結婚」
という幸せなニュースは長く続かないが、
「殺人事件続報」「誰それが離婚!」とかの不幸で刺激的な話題になると、
延々、長々と同じ話題が何日も続く。

ギャンブルやスタントアクションなどがもてはやされるのだって、
危険が裏に潜んでいるからこそ味わえる快感みたいなものが、
興奮をかきたてている部分があるのかもしれない。

「穏やかで平和で、平凡な幸せ」というものほど、
簡単に慣れてしまうものはない。
でも一見、当然のことのように思えることでも、失ってみると、
とても幸せであったことに気がつくことは、病気なんかになってみるとよくあることだ。

たとえば、「歩けること、おいしく食べ物が食べれること、
好きな服が着られること、暮せる家があること、
時間があること、健康であること」。
どれも、当然のことのように思うかもしれないけれど、
失ってみて、初めてありがたさがわかる。

いつも幸せでいるためには、何気ない幸せに常に感謝し、
何気ない幸せをもっていることを当然と思わないで、
常に「私は幸せを持っている」と認識することも大事なのだろう。
それでも、幸せが探せないときには、無理をしても、
昔、幸せだったときのことを思い出して、心を満たすのも、ひとつかもね。




 2001年7月11日
幸せについて パート2

「もっとお金があったら、思い通りの家にすめるから、幸せになれるのに」
「結婚したら、きっと、幸せになれるに違いない」
「もっと、地位が高くなったら、有名になったら、幸せになれるに違いない」
「周りの人たちが、もっと親切だったら、幸せなのに」
なんて言葉をよく耳にする。

人は「幸せ」が欲しいとき、ついつい、人や周囲の状況から、
幸せをもらおうとすることが多いみたいだ。
でも、こういう周りの人や状況に依存した「幸せ」は、移ろいやすいものだ。

望みのものが手に入っても、たいがいの人は、やれ、
「大きいきれいな家は掃除に修理に手入れに管理が大変!」、
「結婚相手は、思いやりがない人だった」、
「地位が高くなったら、部下から文句ばかり言われて、胃が痛い」、
「この間まで、親切な人だと思ったけど、手のひらを返すようにいやなやつになった」
とか、文句がまた、たらたら出てくるもんだ。

周りの人や環境は、そうそういつでも思い通りになるもんじゃない。
だから、そういうもので幸せになろうとすると、願いが叶わなかった時には、
「不幸」になってしまう。

だから、手っ取り早く、幸せになるためには、今持っている幸せ、
過去にゲットした幸せを見つめなおそう!
……という話を、ここ数日、いろいろな人と話していた。そんな中で、
Mちゃんから、
「子供のときに、こんな遊びをしたり、賞をもらったり、楽しいこと,いっぱいありました」
というメールをもらって、私自身もいっぱい幸せを持っていたのに、
忘れているものがたくさんあることに気がついた。

「私も、そういえば、子供の頃の楽しい思い出、あったなあ。
ハイキングに行った。木の実拾いをした。お祭りに行った……」
これを機会に、私も、昔の楽しかったことをいっぱい思い出して、
ノートにでも書いて、幸せに浸ってみるかな。




 2001年7月25日
未来の道具

ドラえもんの「未来の道具」じゃないけど、
「感情や感覚」が、伝えられる道具があったらいいなあ、と思う。
もしこういう道具があったら、周りの人に平気で意地悪をしたり、
嫌がらせをしたりする人には、
「こんなことをすると、相手はこの暗い辛くて悲しいんだよ」
と、辛さをしっかり味わわせて、懲らしめる!

逆に、落ちこんでいる人や、「嬉しい思いをあまり感じたことがない」という人には、
「こんな風に毎日を過ごすようにすると、こんな素晴らしい
幸福感が味わえるよ」
と、幸せを教えてあげる……。

そんなことができたら、どんなにみんな思いやり深くなって、
幸せになるだろう……と考えていたのだけど……。
でも、考えてみたら、こういう道具ができたら、
絶対、悪用する人もいるに違いない。

人をいじめたり、落とし入れたりするために、悪い感情を味わわせたり……。
あるいは、「よい感情を味わう道具」を、麻薬代わりに使ったり……。

どんなにいい道具ができても、それを使いこなす人間が変わらない限り、
結局は、幸せにはならないんだろうなあ。
やっぱり、「幸せ」は、自分の手で掴むのが、一番だね。
苦労して手に入れれば、手に入れたほど、
「幸せ」もありがたく感じるだろうしね。




 2001年7月31日
教育って大事

先日、お能仲間のWちゃんが我が家に遊びにきた。
Wちゃんは、ドックトレーナーをやっていて、
自分でも「萌ちゃん」という柴犬と、「シンディ」というアフガンハウンドを飼っている。

だから、W家の萌ちゃんは、まだ1歳だというのに、
うちのルナ子と違って、すごく芸達者だ!
「きっと、萌ちゃんは、ルナ子とは頭のできが違うんだろう」
と、ずっと、私は思っていたのだが、先日、そうでもないらしいことが判明した。

Wちゃんはなんと、我が家にきて、ルナ子相手にやすやすと、
おすわり、お手、ふせをしつけるではないか!
しかも、見ていると、Wちゃんと向き合うルナ子は、
今まで、見たこともないくらいかしこそうな顔になっている!

しかも、二人(?)の間には、神々しいばかりにきらめく信頼感のようなものの芽生えが…!
まるで、ほんと、別人ならぬ、別犬を見てるようだったわ―。

Wちゃん曰く、
「この犬は、絶対叱ってしつけちゃだめなタイプよ。
誉めて、誉めて、誉めまくることで、成長するタイプよ」
うー、耳が痛い……。
確かに、ルナ子は、私に怒られてばかりいる…。

普段、患者さんやご家族には、
「怒るばかりではいけません。
相手のいいところを見つけて、誉めて伸ばすことのほうが、成長を早めるのです」
なんて、偉そうにいってるけど…。
確かに、患者さんやスタッフを誉めるのは、得意だけど……。

でも、相手が、ルナ子とおとうちゃんとなると、誉めるのが、難しいんだよね―。
誉めるの苦手どころか、おバカなことをやらかしてくれると、
ついつい、怒鳴って怒ってしまう……。あーあ、自己嫌悪。

この日は、しみじみ、教育の大切さを認識した。
子供の才能を生かすも殺すも、実は、育てて、教育するものの
力一つにかかっていたりするのね―。

遅まきながら、これを機会に、ちょっとは反省して、
ドックトレーナーWちゃんのようになれなくても、
ルナ子も、とうちゃんもすこしくらい誉められるように努力しよーっと。




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