ひまわり先生のひとりごと (2001年9月) 
  2001年9月3日
最近、「叱るって技術はとても難しいことなんだなあ」と思う。
人から叱られたときに、「確かにその通りです。ごめんなさい…」
と素直に反省できることもあるんだけど、
「なにもそんな言い方しなくたってさあ!すっげーむかつく言い方!!!」
と、ものすごく腹が立ったり、
「ふん!どうせ、私はそんなに立派な人間じゃありませんよーだ!」
といじけモードにはいったりすることは少なくない。
「その違いは、なに?」と、最近よく考える。

で、結論!
「叱る人」の心の中にイライラした感情が混じっていると、
せっかくいいことをいっていても、叱られた相手は「八つあたりされた」
ように感じてしまうのではないかな? 
あと、叱られた人の「古傷」に触るような、すごく気にしていることについて叱られたときも、
むかついたりするのかもしれない。

普段、私達は「感情的に叱られる」ことの方が多くて、
「上手な叱られ方」をしたことがないから、
「叱る=いけないこと、いやなこと」と思ってしまうことが多いものだ。
でも、上手に叱られると、愛情が感じられたりするんだよね。

たぶん、「叱る」時ほど、「叱る」エネルギーの倍以上の「愛情」というエネルギーを
腹の中にどっしりと抱えていないと、
相手の心に響く叱り方にならないのかもしれない。

かくいう私も、上手に叱れる自信があまりないので、人を叱るのは好きじゃない。
どうしても、叱らなければならないときになると、すごく緊張したり、
どこか感情的になっているときもある。
でも、上手に叱ることができると、誉める以上に相手には、
気持ちが伝わるものだ。

叱り上手になりたいなあ!



 2001年9月19日
雑誌「クロワッサン」に、私がお仕舞を習っているところの写真と記事が載った
(9/25日号の151ページだよん。見てない人は見てね)。

最近、雑誌やテレビの取材を受けることが多くなってきたせいか、
前ほど、雑誌で取り上げてもらっても感動が薄かったりするんだけど、
今回の記事を見た友人のメールには、ちょっと感動した。

「記事、拝見しましたよ。着物袴姿で、あんなきれいなお稽古場で、
その時間だけは先生を一人占めしながらお稽古できなんて、
とってもステキなことだね。
素敵に贅沢な時間と空間を過ごしているんですね。
うらやましくなりました」
というような内容だった。

「そういえば、私も先生のお宅に個人稽古で習いにいったばかりの頃、そんな風に思っていたなあ。
なのに、すっかり、それが「当たり前」になってしまって、
感謝の気持ちが薄れてきてたんじゃないかなあ。
何事も、「当たり前」になっちゃうと、嬉しさも楽しさも幸せも、
どんどん少なくなってきちゃうよなあ。
時々、心を引き締めて、「当たり前」と思うことを見直さなくっちゃなあ」
 
今回は友人の言葉には随分ハッとさせられたけど、
ふとした時に、「当たり前」が実は、「当たり前じゃない」ってことに、
気がつかされるもんだ。
テロがあったり、大地震があったり、噴火があったりすると、本当に、
「今日も目が覚めて、食事ができて、普通に一日が終わる」
っていう、「普通の日常」にすら、感謝を感じさせられる。
どうせ、一日生きるなら、いっぱい、「ありがとう」って感謝の心で過ごしたいもんだ。






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