ひまわり先生のひとりごと (2003年4月) |
2003年4月16日 |
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「ひまわり」が超忙しい上、個人的な仕事もたまってきてしまい、
急ぎではない仕事は後回しになっています。
そのため、「独り言」もなかなか更新できませんでした。
メール、手紙のお返事も、本当に遅くなっており、ごめんなさい。
それから、初めてお手紙を下さる方に可能な限り
お返事を書いて差し上げたいので、2通目以後のお手紙には、
原則的にお返事は差し上げていません。
もし、2通目以後にお返事があったときには、超、超、超ラッキーだと思ってくださいね。
お願いしまーす。
家に帰っても、最近は、バタンキューで寝てしまうことが多く、
一時はあんなに熱心に練習していたフラメンコやお能もすっかりおさぼり状態。
6月に舞台で「班女」という曲の舞囃子を舞う予定なのに、
こんなに練習してなくて、大丈夫なんだろうか・・・??不安・・・。
でも、そんな忙しくてバタバタしている毎日の中、親友がときどきくれる
「幸せ色の香りのするメール」が、最高の心の栄養源、最高の楽しみになっています。
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2003年4月23日 |
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最近読んだ本に、
「どのくらい、「今」に集中できるかが、人生を有意義で、
なおかつ幸せに生きるためのポイントだ。
人は、「今、目の前にある瞬間」だけに集中しているのが難しい生き物である」と書いてあった。
以前から、「人間って、不幸な気分になっているときって、
過去や未来を見ていることがほとんどだなー」と思っていたけれど、この本を読んで、さらに、
「ああ、確かに、本当に「今」だけを見ている瞬間って、実は、すごく少ないかもしれない」
と、痛感した。
たとえば、一日一生懸命働いて、体がクタクタになっているときなどに、
「ああ、体が緊張して疲れているから、ゆっくりほぐしてあげよう」
と、体をほぐして休めることに集中していれば、とても気持ちよくすごせるはず。
ところが、
「なんで、こんなに疲れているんだろう。
原因は何だろう。そういえば、今日はこれとあれと、それと、大変なことがあったし、
昨日はこれが大変だった!疲れるはずだなー」
と、過去を振り返っていると、疲れを再体験しているようなもので、さらに疲れを増してしまう。また、
「こんな疲れた状態で、明日出張に行って、体が持つかなあ。
途中でめまいがして倒れたらどうしよう…」
と、未来を心配していたら、やっぱり疲れてしまう。
そして、「自分の体に集中して、リラックスさせてあげれば、心地よく過ごせたはず」
の気持ちのいい「今という時間」を「過去」と「未来」のために、失ってしまうことになる。
そんなことを考えながら、心の問題を抱えている人たちの話を聞いていると、
「ああ、悩み苦しんでいる人たちってみんな、今この瞬間、
目の前に起こっている現実は全く見ていなくて、過去、未来などにまつわる、心の中だけを見ているんだなー」
と、しみじみ思う。
過去や未来に対する心配をすべて、すっきりさっぱり手放すことができたら、
本当に、毎日は実に爽やかに過ごせるんだろうなあ。
でも、わかちゃいても、それがなかなかできないものだ。
私自身、本を読んで、「なるほどねー」と思った次の瞬間、
弟から、「ゴールデンウィークに遊びに行くからよろしく!」とメールをもらって、
「かわいいゆいちゃんに会えるのは楽しみだけど、家事が大変だー!!
ここのところ、仕事も私生活もやることが多くて、不摂生してたからなあ。
ゴールデンウィークまでに、疲れが回復してるかしらー」
と、さっそく未来を心配している自分を見つけて苦笑してしまった。
ほんとに、なかなか、学習しないのが、人間のかわいいとこだ!
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2003年4月28日 |
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最近よく、「OOの職業につかないと、奉仕ができない」とか、
「ホスピスでボランティアができなければ、私が奉仕を考えている意味がないんです」
とかいう、相談を受ける。
でも、ほんとは、「奉仕」っていうのは、どこでもできることだと思う。
家でご飯を作ったり、掃除をしたりするのも、心をこめてやれば奉仕になるし、
道端のゴミを拾ったり、電車で席を譲ったりするのだって奉仕だ。
会社でお茶を入れたり、コピーを取ったりするのだって、ほんとは奉仕になる。
生活のどんなことだって、奉仕になるし、祈りになるんだよなー・・・とつくづく最近思う。
もっと、究極的なことをいってしまえば、「自分はとっても不幸だ」と思っている人は、
自分自身に奉仕することをおぼえれば、随分幸せになれるのになあと思う。
宗教を持っている人だったら、「すべてのものの中に神や仏がいる」と思って、
物に対しても、人に対しても、自分自身に対しても、いっぱい優しく、親切にすれば、
生活のすべてが奉仕になるのになー。
そうしたら、生活すべてが祈りになるから、教会やお寺に行かなくても、
毎日が神様や仏様と一緒じゃない!!
・・・って、思ったんだけど・・・。
妹に一言、ぴしゃりと言われてしまった。
「一般人というのは、その前に、自分の中にも、すべての中にも、
本当に神がいるのかどうかってことが、絶対的に信じられないもんなのよ。
神の存在そのものが、絶対的に信じられなかったら、それは成り立たない考え方だよ。
まあ、神が心底信じられる人なら、有効な考え方だと思うけどね」
確かにその通りっ!
目に見えない神様仏様のような絶対的な存在を、
心の底から信じられた人は、それだけで実は幸せなのかもしれないなあ。
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