ひまわり先生のひとりごと (2003年7月) 
  2003年7月1日
週末は神戸に出張にいった。
今回の出張は事前から、細かいトラブルがあった。


こういうときは、当日もいろいろトラブルがあることが多い。
なので、覚悟していったら・・・。案の定、飛び乗った最終一本前の新幹線は
乗車率120%で座れないわ、同じ名前のホテルが2件あって、予約名が見つからず、

「身分証明書で、本人と職業が確認できるものを提示してください」
といわれるわ・・・。その他、もろもろ、いろいろなトラブルがあった。

普段だったら、「なんでこんな嫌な思いをしなきゃいけないんだろう。
今日はついてない」とか、ブツブツぼやき声の一つも出そうなものだ。

でも、「今回は大変かも・・・」と、相当覚悟していったお陰で、何があっても、
「まあ、今回は仕方ない。こんなもんでしょ」
と思えて、ほとんど腹も立たなかった。

それどころか、講演会で一緒に話をすることになった演者の方がすごくいい方だっただけで、

「今日は、何てラッキーな一日なんだろう!思ったより、悪くない出張だったわ」
という気分になった。

ちなみに、先日読んだ本に、
「生きていたら、良いことも悪いこともあるのは当たり前。
悪いことがあっても、「まあ、このくらいで済んで良かった」と思えば幸せになれる。

幸せとは、実は、禍がない状態のことをいう」
と書いてあった。

出張に行って、しみじみ、「本当に、本の通りだなー」と実感。
これからは、予兆がなくて、禍が起こったときにも、

「まあ、このくらいで済んで良かった。悪いことは、さっさと忘れよう」
とこだわらないで過ごせるように、心を鍛えていきたいもんだ。


閑話休題。

昨日、友人と話していて、友人が、
「純ちゃんって、なんだか、「マッチ売りの少女」に似てるよね」
と言い出した。

「そ、そお?

でも、確かに、子どもの頃、「マッチ売りの少女」の話、大好きで、
「マッチ売りの少女」になりたいと思ってたことがあるよ」

と言ったら、友人が、
「いいなあ・・・マッチ売りの少女って、はかなげなイメージで、憧れよー!!
私は到底、マッチ売りの少女にはなれないからねー。
だって、ひもじいのも寒いのも、我慢できないもん。
私だったら、温かいストーブやおいしいご馳走のある家を見つけたら、
ドアをトントーンと叩いて、

「こんばんわー。おいしそうなご馳走ですねー」
と、その家に入っていくよ」
と言いだすものだから、私も大笑いして、

「確かに、確かに、wちゃんだったら、ニコニコ笑いながら、

「えへへへ・・・実はぁ、寒くって、ひもじいんです。
マッチ上げますから、チキン、ちょっとだけ・・・分けてくれませんかあ?
あー、ストーブもあったかそうですねー」

とか言って、裕福な人の家の中に入りそうだよねー。そうすると、お家の人たちも、
「こんなに小さいのに、この雪の中で、マッチを売ってたの?まあ、かわいそうに・・・。
ご馳走はいくらでもあるから、食べてらっしゃい!
ついでに、プレゼント用のクッキーをお土産に持って帰れば?」
とかいわれて、
「ありがとう!!」
って、たらふくご馳走になって、プレゼントもせしめて帰ってきそうだよー」
と返したものだから、二人で腹を抱えて笑ってしまった。

いやー、でも、本当に彼女の発想は、いつもながら「目から鱗」。
私には、絶対無い発想なので、とっても参考になる。


ついでに、彼女の話を聞いていて、「マッチ売りの少女の話って、
少女の性格でいろいろ変わりそうだなあ」なんて、思った。


例えば、恨みつらみの激しい少女だったら、マッチなんか擦ろうとせずに、

「こんなに裕福に過ごしている子供がいるのに、世の中不公平だ!
どうして、私ばっかりこんな目にあうの!」

と、窓にへばりついて、ひたすら文句を言っているかもしれない。

過激派の少女だったら、

「私が不幸なのは、こういう幸福の中でのほほんとしているやつらがいるからだ!
悔しいから、この家に火をつけてやる!」

と、放火してしまうかもしれない。

また、ある少女は、

「マッチなんか売ってたって、裕福な暮らしはできない。
もっと、いい商売ができないか、考えてみよう」

と、町のゴミアサリなんかをして、町の人の嗜好を研究し、新しい事業計画を立てるかもしれない。

うーーーん、そう考えると、マッチ売りの少女の話も奥が深い?!



  2003年7月28日
最近、「自分が一番大切なものを、本当の意味で、一番大切にしていない人って、
結構多いんじゃないか」と、ふと思う。


もしかすると、「一番、大切なものはなーに?」と聞かれて、
即答できない人も案外少なかったりして・・・。


例えば、子育てで苦労している親御さんは、
「私達は子供のことを、何よりも一番に思っています」と、簡単に言うけれど・・・。

いざ、子供が登校拒否を始めたりすると、
「どうして、たかが学校くらい行けないの?」
と責めてしまうことが少なくない。
本当に子供が大切で、子供のことを一番信頼しているなら、
「この子が学校にいけないなんて、よほどの理由があるはず。
なんとかして、この子の心を理解したい」

と、まず、思いそうなものだ。
でも、現実には、「学校、教師、世間体の言い分」を優先していることは少なくない。

なんでこんなことを言い始めたのかと言うと、先日、ちょっとした事件があって、
あやうく、私自身も、「本当に大切なこと」を見失ってしまうハメになるところだったからだ。


自分では、「大切なものを絶対に見失わない生き方をしよう」と、
常に意識していたつもりだったのに・・・。
ふと気がついたら、「医者らしく、仕事と患者さんを最優先にして生きねばない」
という「一般的な考え方」に必要以上にとらわれて、自分の本当の心を見失いかけていたことに気がついた。


社会的に一般的とされる考え方や世間体を、無視して生きることは出来ない。
でも、それは、自分の心を殺しすぎない範囲にしたほうがいいのかも・・・
と、つくづく思う今日この頃。





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