ひまわり先生のひとりごと (2004年1月) 
  2004年1月19日
明けましておめでとうございます

暦の関係で、秘書織田ちゃんの休みが続いたもので、
仕事をしながら、秘書業務をこなしていたので、凄まじい忙しさでした。

なので、ホームページ更新まで手がまわらず、すっかり遅くなってしまいました。
しみじみ、「スタッフに支えられることで、本業に専念できていたのだ」と、
あらためて、感謝の中で、新年を迎えています。


あらためまして、「あけましておめでとうございます」
今年も、「ひまわり」ともども、マイペースでゆっくりやってまいりますので、
よろしくお願いいたします。


今年の私の元旦の計は、「目指せスローライフ!」
 用事をあまり増やさないようにし、パソコンも必要最低限にし、
生活空間と心の内面を丁寧にお掃除する時間をもちたいと思っています。


ところで、年末の「神様の粋な計らい」の話には、思いのほか、多くの反響を頂いて、びっくりでした。
 きっと、たくさんの人たちが、いろいろなところで、
「神様の粋な計らい」の恩恵やら叱咤激励やらに、お世話になっているからなのかもしれないなー、
なんて思いました。


 その中で、心に残ったメールに、
「神様が「困ったおばさん」を使ったのではなくて、おばさんが「神様」で、
純子さんは「神様の大切なお連れさん」だったのですよ、きっと」

 という内容がありました。

 「なるほど、とっても素敵なものの見方だなー」と、嬉しくなりました。

 生きていると、必ず、困った人、いじわるな人、怖い人などなどに出会います。
でも、そうした人たちに出会ったら、ドラゴンクエストやスーパーマリオなどの
ロールプレイングゲームに出てきそうな「隠れ神様キャラだ」と思ったら、
とっても楽しいかもしれません!

 いろいろな道で「いじわるキャラ」が、マリオの行く手を阻むのだけれど、
相手のメッセージの真意を理解して、正しい道を発見すると、「いじわるキャラ」が
ポンと「神様キャラ」の元の姿に戻って、

 「よく、わしのひっかけ問題に引っかからなかったのー♪
  お前も成長したのう!ひょっひょっひょ♪」
 とかいいながら、消えていって、目の前に行くべき道が広がってきたりして・・・。

・・・なんてことを考えながら、毎日を過ごしていると、結構楽しいものです。
特に、「他人の人生」だと、「隠れ神様キャラ」はよく見えるものです。
「ああ、神様は、あの人に「この道は違うから、別の道を行きなさい」と教えるために、
「いじわるキャラの神様」になって、行く手を阻んでいるんだなー。

 素直に、「あ、こんなに分不相応な苦労するってことは、
この道は、本当の道じゃないのか。
この人がいじわるして、「ここじゃないよ」って教えてくれてるんだ!」
って気付いて、引き返せば、本当の道が早く見つかるわけだ。

でも、意地を張って、「いじわるキャラの神様」といつまでもケンカばかりしていると、
エネルギーを消耗して、タイムオーバーになり、自分の道が見つからないわけなんだなー」

とか・・・。

自分の人生も、もっと離れたところから見たら、きっと、
「なんで、あそこで、あんなケンカなんかしてたんだろう。
そんなことしないで、こっちの道を通っていれば、早く、楽に、本当に道にたどりついていたのになあ」

と思うことはいっぱいあるような気がします。

そんなときはもしかすると、私自身も、誰かの人生にとっての
「隠れいじわる神様キャラの役」を演じていたのかもしれませんね。

そう考えると、大変な人生もなんだか、ゲームのようで楽しいものです。
でも、やっぱり、「いじわるな隠れ神様キャラ」と遊ぶより、「楽しい神様キャラ」と遊びたいなー。
あ、そうか、「いじわるキャラ」も、魔法を解くキーワードを伝えれば、
元の「ちょっぴりへそ曲がりな楽しい神様キャラ」に変わるんだった!

ってことは、「魔法を解くキーワード」をいっぱい探すことが肝心かもしれない!

ところで、年末年始は、「優しい神様キャラ」にいっぱい出会いました。
年末は大宮の氷川神社、年始は氏神様に行ったのですが、
どちらも、参拝している真っ最中に、神主さんが御祈祷をはじめてくださいました。

たまたま、丁度御祈祷を願い出た人がいたからなのですが、
手をパンパンと打った途端に、「では御祈祷をはじめます」といわれると、
なんだか、自分のために御祈祷をしてくれたようで嬉しくなってしまいました。

なので、「神主さんと御祈祷を願う人に扮した、隠れ神様キャラが、
年の終わりとはじめに、私のために御祈祷をささげてくれたのだ」と思うことにしました。

なんて素敵な、新年の始まりなんでしょ!

ところで、話は変わりますが、小学校で養護教諭をやっている高校時代の友人が、
「もりっちゃんのビデオと本を使わせてもらって、生と死の授業をしてみたの」
と、授業の資料と子供たちの感想を送ってくれました。

子供たちが「自分が生まれてきたことの意味、大切さ」
をものすごく敏感に感じ取っていることが、はっきりと伝わってくるような感想文でした。


子供はとっても敏感ですね。
「生きることの本当の価値」を知っている大人が一生懸命伝えれば、
おとな以上に素直に「命の大切さ」を理解するんだなーと、あらためて感じさせられました。


と同時に、「私が撒いた小さな種」をこんなにも素晴らしい形で、
次の世代の子供たちに伝えてくれた友人に、言葉では言い尽くせない感謝の気持ちを感じました。

「高校の同級生」という縁で始まった小さな関係を友人が
とても大切にしてくれていたことに気づかされた思いです。


彼女は、彼女自身の経験を通して、「ただ「生きている」ってすごいこと」
と、子供たちに語っていましたが、私はその姿を資料で見て、

「ああ、この友人は、本当に「周りの人たちが生きている」っていうことを大切にして、
他の人の人生も、自分の人生も、ちゃんと生かしているんだなー。 

私の命も、彼女のお蔭で、よりいっそう膨らましてもらったんだー。
私も、彼女も、生きていたことが、ちゃんと次につながっていたんだー」
と思って、とても感動しました。



小さな事にこそ、心をこめて…

私が大好きで、何度もよく読み返している本に、
「あなたがとても心を動かされること。どうしてもやりたいと思うことを大切にやりなさい。
たとえそれが、あなたから見て、とても小さなことのように見えても、
実はそれが、「大いなるもの」の目から見たら、世界人類の役に立っていることがわかるでしょう。

あなたが大切に取り組んでいることは、家族の世話をすること、
誰かを愛すること、ごくごく一部の人の役だけに立つこと・・・かもしれません。

でも、何百人の役に立とうと、無理をして、心のこもらないことをするよりも、
たった一人の役に立つことの方が、実は、大きな大きな輪になって、幸せがつながっていくのです」

と言うような言葉がある。

私は昨年末、一生懸命心を込めてガーゼをたたんだ…という話を書いた。
その後日談だが、私の姿を見ていた看護婦さんが、患者さんの包帯を交換するときに、
「このガーゼは、先生が「これを使う人が、少しでもよくなって欲しい」
と願いをこめて、一枚一枚折っていらしたんですよ」

と話したのだそうだ。
それを聞いた患者さんと家族は、たったそれだけのことで、一日を穏やかに過ごせたと聞いた。
また、その話を聞いたほかの看護婦さんたちも、
「私たちも、毎日毎日のケアをいつも心を込めてやりたいね」
と、心を引き締めて、下さったそうだ。

また、うちの妹も、そんな話を聞いて、
「私も、自分の作品を作るときは、買ってくださる方の幸せを願いながら作りたい。
 だからこそ、気持ちが優しくなれないときは、無理して仕事をするのではなく、
自分が優しい気持ちになれるように、まず、心を整えることを大切にして、仕事をしたい」

と言っていた。

私たちが日々撒いている種は、ほんの小さなものかもしれない。
でも、いい種を撒けば、必ず、いくつかが実りのときを迎える。
そして、その実りは、何倍、何十倍にもなって、知らない土地にも
たくさんの花を咲かせてくれるのだなーと、しみじみ思った。


ところで、私がよく読んでいる本には、
「祈りには、とてもパワーがあります。なかなか信じられないことかもしれませんが、
相手がエネルギーを受け取る気持ちさえあれば、祈りのエネルギーは必ず相手に届いて、
相手の力を高めるものです。

逆に、悪い思念を送っていると、相手はあなたに害を及ぼすようになります。
あなたが常日頃思っていることが、必ずあなたに返って来ます」
と書いてある。
「自分が思っていることが、自分に返って来る」というのは、よく経験するので、
納得していたが、「ただ祈るだけ」の力がどれほどのパワーがあるのかは、半信半疑だった。

ところが、年明けに、たまたま、ひょんなことで、それを自分の目で確かめる機会を得た。

特に会話をしているわけではない「距離のある状態」で、
祈りのパワーを送ってみたら、送られた人がその瞬間に変化し、
送るのを止めると、やはり変わる・・・という状態が、何度か続いたのだ。

なるほど、こんなにも「祈りというのは効果があるんだー、と感動した。
これからは、直接誰かに何もできないときにも、もっともっと、心を込めて、
その人たちのために自信を持って、真剣に祈ってあげることができそうだ。




  2004年1月25日
16年ぶりに雛人形を出した。

我が家の雛人形は大きな七段飾りと、大きなガラスケースに入った15人飾り以外に、
ガラスケース入りの人形が10数ケースある。

全部で、押入れ、軽く一つ分を閉めるくらいの量だ。

母が亡くなる直前まで、東京の自宅に、寄り付いたことのなかった私は、
実は、雛人形がどこにあるのかも知らなかった。
また、16年も放って置かれた人形は、虫食いだらけで、大変な状態!

 結局、一日がかりの仕事になった。
 
大量の雛人形を出しながら、しみじみいろいろなことを考えた。
 
「人形の数だけ、命の誕生を祝う心があったこと」
「普段通り、家事と育児をこなしながら、人形を出し入れすることがどんなに大変であったかということ」
「物は、大切に使われ、保存されてはじめて、「命」が通うのだということ」

 人形一つ一つに向かって、
「長い間、放っておいてごめんなさいね」
 と声をかけ、掃除をして飾りながら、亡き母にあらためて感謝の念を抱いた。

 子供の頃の母との生活は、お世辞にも、いい親子関係とは言えるようなものではなかった。
正直言って、母を殺して自分も死のうと、包丁を突きつけたことすらある。


 いろいろなことがわかってきた今、振り返ってみるに、
私は決して育てやすい子どもだったとはいえないように思う。

「繊細で、理屈っぽく、それでいて、甘えん坊」だったからだ。
そんな難しい子供を持った母も、思えば気の毒だったと、今では思う。
母は、母なりに一生懸命立派な母になろうとしていたに違いない。

でも、うまくいかない子育てに、どんなに疲れ果てた日々だったことだろう。

それでも、毎年、母は雛人形を飾っていた。
3人の幼子を抱えて、家事をしながら、あれだけの雛人形を出すのは容易なことではなかったはずだ。


 ある本に、「愛情をかけて育ててもらえなかったと豪語する人も、
生きている以上、誰かしらから、ちゃんと、愛情を受けてきたのです。

 なぜなら、オムツを替え、食事を与えてくれる人がいなければ、
その人は育つこともできないのですから・・・」と書いてあった。


小さな姪っ子を抱えて、てんやわんやで暮らしている弟夫婦を見て、
「これだけ、電化製品も発達して、家事が楽になっている今現代でさえ、
一つの命をはぐくむということは、とても大変なことなのだ」

としみじみ思う。

「子を持って知る親のありがたさ。孝行したいときに親はなし」
とはよく言ったものだと思う。

仕方ないので、仏壇の母の遺影を磨きながら、
「ごめんね。子どもの頃、反抗ばかりして、苦しめちゃったね。
私も苦しかったけど、私が苦しかったということは、ママさんも苦しかったっていうことだね。
だって、片方だけが苦しいってことは、絶対にないものね。

今になってよくわかったよ」
なんて、話し掛けてみた。





←ひとりごとTOPへ

→次月のひとりごとへ