ひまわり先生のひとりごと (2004年8月) 
  2004年8月2日
最近、子供たちと接する機会が多い。
彼らの話を聞いていると、その柔軟な考え方や生き方に、心底感心する。


子供たちは、本能的に、「これは自分の生き方に合う」とわかると、
さっと取り入れて、その日から生活を変えていくことができる能力を持っている。


たとえば、大人に、
「無理をせず、大変なときには、上手に人に頼った方がいいですよ。
 苦手なことは、克服が難しいときには、避けてもいいんですよ。
自分で自分をいじめたり、責めたり、戦ったりするのはやめましょう」
と伝えても、なかなか自分の慣れた生活パターンを変えられず、
何年、何十年と「自分自身の一部と戦いつづける」ことを繰り返していたりする。


でも、子供は、
「そうか、まず、自分が自分を大事にすればいいんだ」
と理解すると、パッと切り替えられる。そして、最初に問題となっていたことだけでなく、
「これも、あれも、問題の根っこは同じだった」
と、気がついて、いつのまにか上手に他の問題にも対応できるようになる。
あの柔軟性はすごい!

こうした子供たちと話をしていると、
「もしも、私自身も、子供の頃に、
「本当に生きるために、一番大切なこと」を教えてくれる大人に出会っていたら、
どんな生き方をして、どんなことができていたんだろう」

ということをよく考える。

私の子供の頃に比べれば、「生きるために、一番大切なことは何か」
ということがわかっている大人は増えてきている。
だから、子供たちも、「真理」を知りやすい時代になってきたかもしれない。

とはいえ、まだまだ、大多数の大人は、自分でも「生き方」がわからずに生きている。
そしてまた、そうした大人たちに育てられる子供は、
「何が大切か」わからずに、迷いながら育つことになるわけだ。


でも、もし、「物心のつかない小さな頃から、一番大切なことから教わった子」
がいたら、この世の中をどんな風に生きていくんだろうか…。

そういう新時代の子供の生き様を見てみたいなーと思う今日この頃だ。




  2004年8月16日
こういう商売をやっていると、仕事ではもちろんのこと、私生活でも、
いろいろな人の悩み事や問題を聞く機会が多い。そのためか、

 「どんな家庭にも、多かれ少なかれ、問題があったり、悩み事があったりするものよねー」
 という概念が、頭の中にこびりついているような気がする。

 たとえば、一見すると、とっても仲良さそうな家族に見えても、プロの目からみると、
 「こういう問題を抱えていそうだなー」
 ということが、案外見えてしまったりする。

 ところが最近立て続けに、正真正銘、家族全員が、それぞれを思い合い、
いたわりあって、過ごしている家族に出会った。

ちょっと感動!!思わず、
 「うわー!絵に描いたような理想的で幸福な家族っているんだー。
もしかして、神様が、「お互いをいたわり合い、愛し合っていれば、
こんなにも素敵な家庭を築き上げることは可能なんだよ」ということを
教える見本のためにいるのかなあ」

 と、日記にまで、その幸福振りをつらつら書き綴ってしまった。

でも、書きながら、ふと、我が家を振り返ってみると、最近の我が家も
ほとんどストレスがなく、とても気持ちいい関係であることに気がついた。

とはいっても、「絵に描いたような幸せな家族」というよりは、
「各自それぞれ、気ままに自立。でも、必要なとこは助け合い」
というあっさりした関係。でも、結構いいバランスを保っている。

少なくとも、母親が生きていた頃や、亡くなった直後よりは、
かなり穏やかで、平和でのどかな家になってるんじゃないだろうか。

でもまあ、ここまでに至るまでには、家族それぞれが、
少しずつ時間をかけて譲り合ったり、許し合ったりと、努力してきたように思う。


そんなわけで、私は今、我が家が一番居心地よくて、とても満足している。
ついでに仕事にももちろん満足している。
確かに、クリニックには「大変」をたくさん抱えている人が来院するけれど、
そのおかげで、私はその「大変」を補って余りある
「日々を気持ちよく生きていける言葉」を、毎日たくさん探して、口にすることができている。

おそらく、私ほど毎日、素敵な言葉をたくさん聞いている人
(話している人?)は、そうそういないだろう。


そう考えると、
「昔は、「私の人生って、相当大変!」と思っていたけど
ここまでたどり着いたみたら、案外こんないい人生はそうそうないかもー」

と、しみじみ思う今日この頃。

あー、がんばって、生きてきてよかったー。




  2004年8月23日
弟一家が,急遽,ニューヨークに転勤することになった。
とはいっても、1年間だけの出張勤務。
でも、今住んでいる社宅は引き払わなければならないらしい。
そのため,アメリカに送れない荷物が我が家に搬送されてくることになった。


慌てたのは私である。 
我が家は,今ですら,あちこちの部屋の中に荷物があふれかえっている。

唯一,きれいに片付いている部屋が、私と弟の部屋だけなのだ。
なのに,そこも物置同然になるのかと思ったら、頭がくらくらしてきた。


そこで、一念奮起、「これではいけない!!」とばかりに、
家中の余分な荷物&押入れの整理を強行した。


そうしたら,まあ,出てくるわ出てくるわ…。
カビの生えた昔の服や鞄。

 「もったいないから」と使わずに保存しているうちに、変色して使えなくなったタオル、
シーツ、ハンカチ、食器・・・。

 
「なんだ,こんなところに,こんなに新品のバスタオルやお皿があるなら,買わなくてもよかったのに…」
と、悔やむこと多々…。
おそらく、どこに何がしまってあったのか、把握していたのは亡くなった母だけだったろう。

で、結局、使えないものは思い切って全部捨てたら,残ったものはほんのわずかになった。

また、この機会に、私自身,ずっと捨てられないでいた大学時代の資料や
友人からの手紙類も,思いきって,整理して,必要最低限以外は捨てることにした。

ダンボール箱にして,12箱分くらいの資料,教科書,手紙を,1箱半に減らすことができた。

片付けながら,
 「以前にも,資料はかなり捨てたはずだから,相当量の勉強をしたんだなー。
それに,これだけ手紙をもらっているということは,これだけ返事を書いたってこと。
これだけの勉強をしながら,よくもまあ,これだけ手紙を書いたもんだ…。
こうして客観的に見ると,がんばっていたんだなー」
としみじみ感じた。

そして、特に思い出の深い品々は,一つ一つに対して、丁寧に語りかけながら、捨てることにした。
「当時、たくさんの思いを込めてこの品々を取っておいたこと、忘れてないよ。
 でも、取っておいても、いずれ死ぬときには、「想い」しかもっていけないから…。
思い出は,充分心に焼き付けたから,捨てさせてね。

過去の「私」さん。本当に、ありがとう!あなたが、がんばってくれたから,今の私があるんだよ。
 未来の私は幸せになっているから、大丈夫だよ」
 
また,整理をしていて感動したのは,
「一人暮しをしている間,母をはじめ,家族からたくさんの手紙をもらっていたこと」
「学生や研修医の頃から,たくさんの患者さんに,大量のお礼の手紙をもらっていたこと」
に気がついたことだ。

当時,
「私は、こんなにも、たった一人で必死に生きているのに、
どうして、誰も私の気持ちをわかってくれないんだ!」

と、投げやりになっていたけれど…。
今、客観的に見れば,そこここに,たくさんの愛があったことが発見できた。

確かに,当時の私が望んでいた愛の形や,理解の形ではなかったけれど,
それでも、それぞれの人たちからの精一杯の愛が、そこにはあった。

 当時の私自身が、
 「100%理解してもらいたい」
と、あまりにも欲求が強すぎたために、たくさんの愛を受け取れずにいたのだ。

もしかすると、そのことが心のどこかでわかっていたからこそ、どんなに絶望したときにも,
死を選びきれずに,今日まで生き延びてこれたのかもしれないなー、
と,今さらながらに思った。


そこで、片付けながら、亡くなった母や患者さん,
そして,手紙を下さったたくさんの通り過ぎていった人たちに、

 「ありがとう。今になって,あなた方の愛の大きさに,やっと気がつきました。
遅れ馳せながら,感謝します」
と,祈った。

こうして、寝る間、食事をする間も惜しんでの1週間。
結局、押入れ、1つ半を空っぽにすることができた。(やる気になれば、できるじゃん!!)

片付けの最後、押入れの一番奥から、「がんばった私への亡き母からのプレゼント」とも思える品が出てきた。
 
 「ああ,母は,もしかして、この品を見つけて欲しくて,私の心を「片付け」に駆りたてたのかなー」
 なんて思った。
 
片付けは,心の整理にもつながる。
 「いらない過去にエイヤッと踏ん切りをつけて,切り捨て,
大切なものだけを残して,いつでも使えるように整える」

荷物も心も、いつもすっきり整理させておきたいもんだ。

やっぱり、シンプルライフを心がけなくっちゃね。



  2004年8月30日
先日、お能を見に行った。
演目は、以前、私も舞囃子と素謡をさせていただいたことのある「班女」という曲だ。

舞台を見ながら、自分自身がお稽古していた当時のことをありありと思い出して、
「そうだ…。あの当時、すっごくがんばっていたんだなー」
と、あらためて昔の自分を客観的に見つめ、過去の自分のために涙することができた。

このことがきっかけで、あらためて「40年間の私」をもう一回振りかえってみることにした。

過去の私は、いつも「生きるか、死ぬか」ぎりぎりの崖っぷちを歩いていた。
だから、否応なくがんばらざるを得なかったように思う。
そのせいか、「どのくらいがんばっているのか」ということをちゃんと認識せずにきた。

そしてまた、少しでも余裕があるときには、いつも自分のことは2の次で、
人のために動いてきた。とはいえ、無理をしていたわけではない。
むしろ、人の喜ぶ顔を見るのが、自分自身にとっても最高の幸せだと思っていたから、
好きでやってきたことだ。
そうした生き方には悔いはない。

ただ、あまりにも、ずっと必死で生きてき過ぎて、自分自身をちゃんと評価して、
誉めて、応援することが足りなかったかなあ、と今になって、ふと思う。


いつも、患者さんをはじめ、自分の周りの人たちのためには、
100%必死の思いを込めて、応援したり祈ったりしてきた。
でも、自分自身に対しては、同じ位の想いとエネルギーをかけて、
「がんばれ!幸せになってね!」と、祈ったことはなかったかもしれない。

いや…、あったかもしれないが、続かなかったのかも…。
あるいは、どこかで、
「自分のために祈るなんて、強欲だ」とか、
「もっともっと、がんばって苦労しなければ、幸せは掴めないものだ。
こんな簡単に幸せが掴めるはずがない。私は幸せに値するくらいの努力は、まだしていない」

と思っていたかもしれない。

なにしろ、大学時代には、「周りの人全員が幸せになるまで、
私自身の幸せなど望まずに、謙虚に生きていけますように」

と祈っていたくらいだ。
これって、今思うと、あまりいいやり方ではなかった。

幸せをたくさん持っていない人は、幸せを他の人には分けられない。
10円しか持ってない人は、10円しか分けられない。
でも、1億円持っていたら、1億円をみんなで分かち合うことができる。幸せも同じだ。


人に幸せをおすそ分けしたかったら、まず自分がたくさんの幸せを掴む必要がある。
自分も、他人もみんな同じ。

もっともっと、自分の周りに幸せを増やすためにも、自分を含めて、
すべての人の幸せを祈りたいものだ。





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