ひまわり先生のひとりごと (2005年1月) 
  2005年1月17日
新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

今年の私の目標は、「天国横丁のマップ作り」です。

年末年始、自分の人生を振り返ってみて、
「私の今までの生活って、「地獄横丁」のマップ作りと、
「天国横丁」へ脱出するための攻略法探しに追われてきた感じだよなー。

もう、そういう生活はいい加減、飽きたから、ここらで、天国横丁の探索をしてみよう!」
と思ったのがきっかけです。

「天国」とか、「幸せ」という感覚は、あまりにも自然で、柔らかくて、優しすぎるので、
普段の生活の中で見過ごしてしまうことも多々あるような気がします。

そんなことに気づけたのも、たくさんの人々のおかげです。

年末には、あるひまわりメイトの方から、今まで見なれたはずの
空、木々、風、花の中の本当の美しさを教わりました。


今年になってからは、別の方からお誘いを受けたコンサートで、
「曲の中の小さなフレーズの中に、いろいろな思いが込められているんだ。
たった数小節の曲想に、一人の人物の喜怒哀楽を込めることができるんだ!」
と知り、視界が大きく開けた気がしました。

また、ある人の鞄を預かって手にしたら、えもいわれぬ温かさが全身に伝わってきて、
「私はご主人様に、とっても大切にされているんですよ。
普段、ご主人様は、私にこんな風に接してくれています」

と、鞄が話かけてきたように感じました。

「物」に人の想いが映ることは、妹のガラス作品を見ていて知っていました。
門前の小僧なんとやら…で、妹に連れられていろいろな展示会に通ううちに、作品を見れば、

「この作家さんは、ものすごく愛情に溢れた人だな」
「この人は、自己主張がとても強いみたい」
などと、作家さんの性格や想いが、ある程度見えるようになってきたのです。
でも、直接、「物から話しかけられた」ように感じたのは、今回が初めての経験で、
相当ビックリしました。


 きっと、心の目と耳を澄ませて、ありふれた日常をよく見直してみたら、
そこにはたくさんの「天国」が溢れているのかもしれません。


 器の形、食器の模様、置物、アクセサリー、服、食材、家、植物の形…。

 そうした一つ一つの中に、見ず知らずの誰かの温かい思いや
人生の歩みがこもっていたり、命の営みの不思議さが現れていたりするのでしょう。


私はもともと、物にはあまり興味がなく、必要最低限の「物」しか持たない生活をしてきました。
そのため、物を見る目があまりありません。

でも、「物」を単なる「物」としてみるのではなく、「人の歴史と生活と人生の産物」
としてしっかり見直してみたら、違ったものが見えてくるような気がしました。

一つの創造物の中に、どんな人生が込められているのか、
「物作りの言語」を学ぶことで、新しい世界を知ることができるのでしょう。


また、視点を変えて生活すれば、日々の単純な生活も、ちょっとした工夫で、
随分変わるかもしれないなーと、思い始めました。


たとえば、スポーツ、踊り、歌などを極めるためには、「地にも天にもしっかり伸びて、
きっちり中心が引き上げられた体」が必要です。
そのために、常日頃、歩いているときから、必ず体を引っ張り挙げる意識が
必要なのですが、単純な訓練ほど退屈しやすいものです。

こんな時に、
「地面から爽やかなエネルギーが上がってきて、自分の体を通って、天に注がれる。
一歩一歩、小さな花を地面から天に向って咲かせるようなイメージで歩く」

と想像できれば、体の訓練もできて、心も常に爽やかで、気持ちいいかもしれません。

楽器をやっている人ならば、ハノンのような単純な練習を
「今日は、空のイメージで演奏してみよう。今度は、虹のイメージ」
などと、奏でてみたら、飽きずに、心も豊かに練習できるかもしれません。

その気になれば、何気ない日常にたくさんの豊かさ作り出せるのでしょう。
そんな小さな豊かさを今年はたくさん探して、作り出してみたいと思います。



  2005年1月31日
週末、介護付高齢者住宅のケア指導の為に、京都に行ってきた。
そこで、長年京都に住んでおられる方から、東京についての感想をいろいろ伺った。

「芸術、音楽、催しなど、一流のものはすべて東京に集まってくるのでうらやましい」
「高層ビルがたくさんで、とても近代的な感じがする」
「言葉の調子がなんだか怒っているようで怖い」
などなど・・・。

話を聞いていて、
「そうかー、せっかくそんなにたくさんの文化が集まっているのに、
それに触れるチャンスを逸していたなー。もう少し、文化に接してみようかな。

なるほど、京都の人の話し方のトーンは、やわらかくっていいかも。
言葉はそのままでも、このトーンだけでも真似したら、人間の幅が広がって感じられるかも・・・」

など、あらためて考えさせられた。

そういえば、私も、大学時代、つくば学園都市に住んでいた時に、
ときどき、東京に帰ってくると、

「わー、すごい!子供から、年寄りまで、いろいろな年齢の人が、たくさんいる!
私の住んでいる所って、すごく偏った人工的なところだったんだ。
いろいろな年代の人がいるって、すごいことなんだ」
と思ってびっくりしたものだ(学園都市は、教師と学生しかいなかったので)。

普段、当たり前のように過ごしていると、自分の住んでいる所が
どんなところなのかわからないものだけれど、離れたところから、違う目で見ると、新たな気づきがある。


同じ様に、自分自身のことも、自分だけで過ごしていたら、よくわからない。
人と出会って、いろいろな摩擦を感じたり、違いを感じたりする中で、

「ああ、自分ってこういう人間だったのだ」
と、知ることができる。

「人の意見を聞くと、すごく傷つけられたり、落ち込んだり、自分を責めてしまう」
という人がいるが、本来、「人の意見」というものは、「本当の自分を知るため」
あるいは、「なりたい自分を作り上げていくため」にあるのだろう。


人の意見は鵜呑みにするのではなく、「一つの視点」として客観的に捉え、
自分なりに消化した上で、自分の人生を作り上げていくために利用すると、
きっと素敵な人生が広がっていくに違いない。




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